グラノーラ夜盗虫

バービーのグラノーラ夜盗虫のレビュー・感想・評価

バービー(2023年製作の映画)
4.8
 監督・グレタ・ガーウィグ、脚本・ガーウィグ&バームバック夫妻という前情報より一筋縄ではいかない作品に違いないと踏んでいたが、期待を超える怪作だった。現実社会の課題と歩みをフィクション社会であるバービーランドに喩えて描きつつ、男女の対立構造を超えた個人の「何者でもない」「美しくない」人生を力強く肯定する映画であった。

 この映画においてバービーランドは下記A~Cのとおり変化していくが、いずれも現実社会を風刺しつつ、その変遷を現実社会の進化に準えたものと考えられる。

A「女性が輝く社会」でありつつ、規範に該当しないマイノリティは疎外するバービーランド
 バービーが住むバービーランドは現実社会と真逆の、完全なる「女性の輝く社会」。女性が活躍する社会はさながら理想に見えるが、この社会も現実社会と同様、マイノリティを軽視・除外して成立していることが明確に描かれている。大統領、医者、物理学者、作家、ジャーナリストなど、現実社会で尊ばれる地位はすべて女性(バービー)が務めている。一方で、輝く女性を賞賛するバービーランド社会規範にそぐわない人々、つまり①男性のすべて、女性のうち②”重要な役職についていない”または③”女性性から遠い”者たちは疎外されている。
 ①あまたいる男性(ケン)はいずれも何者でもなく("He is just Ken")、女性(バービー)のアクセサリーであり、彼女たちのまなざしなしでは自身の存在価値を感じることができない。ながらく存在していた男性優位社会における、男性/女性の関係性を真逆にしている。②”重要な役職についていない”女性の扱いは、妊婦であるミッジの雑な扱いから推測することができる。最後に③”女性性から遠い”女性。美しくないBizarre Barbieはバービーたちから忌避の対象となっている。Typical BarbieはTypicalな美しさを体現していることから中心的な人物であるが、③に陥ることを恐れているようすが繰り返し描かれる。
 このバービーランドの描写は、マイノリティを疎外する構図を男性優位の現代社会を男女逆転させた形で風刺しつつ、あらゆる社会において、規範が個人を抑圧し、疎外する構造を描いたものと考えられる。

B. 現実社会の家長父制思想に汚染された「男性中心」のバービーランド
 バービーランドと現実社会はまさに真逆である。重要な地位はほとんど男性が占めており、バービーを作り出したマテル社の経営陣はすべて男性で、バービーの持ち主であるグロリアは受付にとどまる。
 この男性中心の社会において女性は服従する存在として描かれ、バービーの美しさは男性の性の消費の対象となってしまう様子が描かれる。

C. 現実社会の新しい女性の語りに感化され、「男女平等」そして「個人の尊重」に向かって前進したバービーランド
 ケンが現実社会から持ち帰ったマッチョ思想により、「バービーランド」は男性優位社会に変えられてしまうが、現実社会の女性・グロリアによる女性に対するプレッシャーを糾弾する叫び(先進フェミ思想)により、「バービーランド」の女性たちはこの洗脳から解放される。ひと昔前のフェミニズムは女性に社会進出を通じて重要な役割を演じるという「呪い」を押し付ける側面があった中で、個人の真の解放のためには「何者でもない」人生も肯定することが重要ということを明確化するものである。

 フィクション社会であるバービーランドは、現実社会から影響を受けることによって変化していくが、これは逆にフィクションによって現実社会を変えることができるという作り手の強い確信を感じることができるものであり、勇気づけられる思いでもあった。