るる

ノクターナル・アニマルズのるるのネタバレレビュー・内容・結末

ノクターナル・アニマルズ(2016年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

のっけからどうしたんだと。

そこから、あ、私、人を展示するたぐいのインスタレーション・アート、現代美術があまり好きじゃないんだよなと…
演劇や見世物小屋ならいいんだけど、美術館という…権威的になりすぎてる場、展示物に対して鑑賞者が優位に立てる場に、ひとを見世物にする場を作ってアートとしてしまうあたり、キュレーターと観客の…人間の暴力性を感じて苦手なんだよな…『スクエア』はそういう意味で、鑑賞に二の足踏んでる…
演劇や見世物小屋には観客と演者の間に、ある程度の共犯関係、良いと思ったら拍手や投げ銭などで答えるといった、見る見られる関係の対等な合意が形成されてると思うんだけども

冒頭からして、そんな感じの、居心地の悪さは感じつつ。あ、主人公もそういう欺瞞を自覚して、それは才能のなさに起因してると苦悩してキュレーターやってるのね、なるほど…と思ったりして…でも芸術の才能ある奴ってのは、芸術がもつ暴力性を自覚的にか無自覚的にか乗り越えられる奴、扱える奴らだよな…という気もした。

そういう意味で、あの小説を贈ってきたスティーブは確かに才能を開花させてる、スーザンを恐怖に陥れる、作品の暴力性を理解した上で贈り付けてる…
娘の無事を確認したくて思わず電話をかけた、夫は浮気してる、元夫との間の子は堕胎した、なのに、あんな歳の娘がいるのかよ! というモヤモヤはありつつ、
スティーブはスーザンに娘がいることも知ったうえでアレを書いて贈ったんだろうか、いや怖えな。

吹替版だとエイミー・アダムスことスーザンの、夫へのめんどくささが二割増しくらいに。

そして、小説…ぎゃー、アメリカ怖い、田舎怖い! あんな誰もいない周囲に荒野が広がるだけの長い道を延々延々…そんなところで、あんな襲われ方…あの娘も中指突き立てたり暴言吐いたりバカだろ、と…いやー、怖い…

しかし、好きなタイプの映画じゃないのにグイグイ観れてしまった、この吸引力はなんだろう、やっぱりジェイク・ギレンホールのおかげかな…過去現在劇中劇の切り替えも良かった、だんだんと謎が明らかになっていく脚本も良かったんだろうけど…

エイミー・アダムスとジェイク・ギレンホールの青い瞳が交錯…なんて甘美な…

と思ったら、登場人物みんな青い瞳の持ち主なのね…君のお母さんと同じ悲しい目、か…?

あれはゲイの兄と兄嫁だったのか、とあとからわかったわけだけど、そういう夫婦のあり方もある、という理解で良かったのかな…保守的な土地で、同性婚ではなく偽装婚でもなく、異性婚したうえで夫の性指向は認めてる兄嫁、兄の浮気というかポリアモリー的暮らしを認めてるのか…彼女のように夫の浮気に寛容にはなれないスーザン、ということかな…

スーザン、アメリカで、大学院博士課程までアタリマエのように進んでるって、すんごいことで、そりゃ上流階級のエリートだわ、って感じ…しかし、母とスティーブはひょっとするとあれか、身体の関係があったのかね、あの母の口ぶりは…?

共和党支持の両親をくさすスーザン、うわわって。気持ちはわかるが…その両親からの恩恵を受けていることをわかっているのかいないのか、両親批判をしちゃうあたり、いけすかない女っぽさが出てて…ソワソワしちゃったわ…

そして自分がいけすかない女だと自覚しているスーザン…自分のことを完璧だと思っていない、欠点を自覚してる、そこも含めて完璧だ、と言ってくれるスティーブの存在、ま、なんというか救われるよね…でもその理想像に合わせようとするプレッシャーが負担になるのも、わかる気がした…

しかし、スティーブもな、妻に小説見せるのはやめたほうがいいって…身近なひとに理解してもらいたいのはわかるけど、一番心の柔らかい部分をさらけ出して、その繊細さを武器に仕事にするつもりなら、それは家庭には持ち込まないほうがいいってば…

皮肉屋で批評家気質のスーザン、芸術家の卵でしかない、未だ殻を破れずにいるスティーブの作品の信奉者にはなれん、無批判には受け入れられない、彼女は自覚はないかもしれないけど上流階級で育って上昇志向の塊、

そして結婚の破綻、そりゃそうだろうなと…でも、イケメンにホイホイ乗り換えたスーザン…大学院生、若気の至りの連続だなあという気もするけど、なんて愚かなのかね…

そして堕胎…保守的な両親をバカにしてるとはいえ自分だってカトリック教徒なのに…しかし、慰めてくれる男にすがるな、目を覚ませ、その新しい男はなんの責任もとってくれやしないぞ!!という気持ちに…
だってスティーブに話しつけさせるなり、子供を産ませたうえで付き合う覚悟のある男ならともかく、「すまない、僕には何もできない…」って、若気の至りにしてもさ…そりゃ後に浮気もするわな…

雨の中、車の外に佇むジェイク・ギレンホール、怖すぎる、ホラーだからやめてほしい…

小説を読んでいるうちに、とんでもなく悪趣味なものに囲まれて生きていることに気付いていくスーザン…それらは無意識のうちに蒐集したものだったのか…しかし、復讐って…彼女は無意識のうちに復讐の恐怖に怯えてたってこと…? 姦淫の罪、堕胎の罪、裁かれることを恐れていた…?

役員会議の様子、怖かったな…女の怖さというか、気を抜くと足元すくわれる、仕事のピリピリ感が伝わってきた…

彼が贈ってきた小説は、妻と娘を奪われた男が、妻と娘を奪った男を殺して復讐する話だったけど…スティーブはまさか、スーザンと会う約束をすっぽかして、あの浮気夫を殺しに行ったり…してないよな?

いつもの真っ赤なルージュはやめて…せめて昔の私に戻って会おう、スーザンの殊勝な心が見えた気もするけど、いやいや、オマエ、待ち合わせ場所に高級料理店を指定するあたり、おめー、そういうとこだぞ! …彼女なりの、スティーブに対する見栄、プライドを守るための自己防衛だったのだろうか…しかし、あんな店を指定しておいてルージュは落として…いやいや、それで和解できると思ってんじゃねーぞ…

にしても、そこで終わるー!? ちょっぴり、『鑑定士と顔のない依頼人』の結末を連想…仕事のピリピリといい、女性主人公でコレをやる時代になった、という気もしつつ。

でも充実していた…やっぱり、ジェイク・ギレンホールの底知れなさのおかげだと思ったなあ、

こんな愚かな女の役なのに憎みきれない、エイミー・アダムスも稀有な存在だったとは思うけれど…
レイチェル・マクアダムスだったら無邪気過ぎてどうしてもイライラっとしながら見ることになったと思うし、ニコール・キッドマンだと年齢が上すぎるのか、あたりだったらミステリアスすぎて謎が謎を呼んで混乱したと思うし、綺麗すぎたり気が強そうな女優じゃ、同情できなかったと思うから…
良い女優さんだよね、エイミー・アダムス…顔洗ってたシーン、すっぴんに見えてすっぴんじゃないのでは、と思ってしまったけど…シャワーシーンもたくさんあったし、すっぴんだったのかな、いや、彼女、自然な良い歳の取り方をしてて好きよ、40代前半…
絶妙な配役だったとは思う…

しかしだよ、最後の最後で現れなかったジェイク・ギレンホール、なに考えてたんだジェイク・ギレンホール、全然わからんぞ…と不穏な憶測を呼んでしまうところがジェイク・ギレンホールという俳優だと思うんだよ…

あとあの肺がんの警部補の存在ね、あの何かやらかすに違いないぜ、という危うさ、ハラハラ…
しかし、復讐を果たして死んでいく男をあんなにうまいこと撮るあたり…

いやすげえ。すげえ映画。じわじわ染みた。
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