相沢才永

ノクターナル・アニマルズの相沢才永のネタバレレビュー・内容・結末

ノクターナル・アニマルズ(2016年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

 冒頭では精神分析学者のフロイトの孫でもあるルシアン・フロイドの太った裸婦の絵画をオマージュした映像が流れる。それは化粧を施し帽子と靴と手袋のみマーチングバンド風に正装した裸婦が踊っているというもの。スローモーションで映し出されるそれは背景と口紅とが真紅に染まっており音楽は静かでどこか悲壮的だ。赤という色は容易く情熱を表すことができ、また踊りは感情を表すことができる。更には美を。しかし被写体はブヨブヨと重力に耐えきれない分厚い肉を着た裸婦であり、誰もが美しいと感嘆するかといえばそうではないだろう。しかしルシアン・フロイドの太った裸婦の絵画はそれが裸婦の絵画であるが故にこれまた容易に美とは何かという問いを見る者に投げかけることができるのだ。

 トム・フォードがこの絵画のオマージュを映画の冒頭に用いたのにはどんな意図があるのだろう。

 送られてきた小説はまるで元夫からの復讐とも取れる内容であり、スーザンも元夫に対する自らの仕打ちを小説を読み進めながら振り返っては屡々苦しむ。この映画を復讐劇として観てもそれはそれで良いかもしれないが、飽くまで(これは自らへの復讐なのだ)という主人公の主観としてのそれだ。小説の意図がわからないまま主人公の主観で進められるストーリーからトム・フォードが作中の小説の作者であるエドワードには自らを、小説の本意を汲み取れないスーザンには大衆を投影しているとさえ感じられるのは、作品の本意を汲み取ってもらえないもどかしさをアーティストであれば知っているに違いないからだ。

 絵画のオマージュに話を戻すと、フロイドの絵画がありのままの姿でいることの是非を問うものだと仮定するなら、あのオマージュはそれに対するトム・フォードのアンサーだろうか。とすればエドワードが小説を送ってきた理由やラストシーンの行動の意味には初めから答えを出されているというわけだ。
相沢才永

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