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ハッピーエンドの選び方のemilyのレビュー・感想・評価

ハッピーエンドの選び方(2014年製作の映画)
4.1
エルサレムの老人ホームに妻のレバーナと一緒にくらす発明大好きなヨヘスケルは、延命治療に苦しむ友達から安楽死できる機械を発明してほしいと頼まれる。スウィッチを押せば苦しまずに最期を迎えられる機会を発明し、実行する。仲間達も協力してくれ、やがてホームの中で噂になり、一度だけのつもりが依頼が増え、その苦しみに共感を覚えまた実行することになる。そんなころレバーナの認知症がどんどん悪化していき・・・

老人ホームを舞台に、扱われるのは人生の最後の瞬間である。重いテーマでありながら、独自のユーモアを織り交ぜて、人生の最期を選択できるという、精神の開放がハッピーエンドをもたらす。しかしそれは本人にとってもハッピーエンドであり、周りに居る人たちにとっては全く逆の感情である。ハッピーエンドでありながらそれは完全なるものではない。

二面性を持った側面を、本作の切り口で描く事で、より一層説得力とリアリティがのり、悲しみ以上の奥深さが人生そのものの深さと重なり合う。

ホームで暮らす人物像の描写や、何気ない人物配置、一緒に居るだけで青春時代がよみがえるような、日々のエピソードの中にもクスッと笑える温かいユーモアと愛が溢れており、重いテーマへの関心を最後まで維持するスパイスとなっている。展開が読めるストーリーなのにぐんぐん引き込まれ、いや展開が分かってるからこそ、その描写に引き込まれるのだ。そこには長く人生を生きただけの言葉にしないやさしさがあり、それと交差する現実のシビアな苦しみがほんのりと和らぐ瞬間に涙を誘う。認知症の描写も丁寧でありながら、そこには悲観的より側面のやさしさや愛が際立つ描写になっている。

愛する人をなくすのは自分にとっては悲しい事であるが、本当の愛とは、相手の事の想いをかなえる事であり、パートナーの希望がそのまま自分の希望へとすり替わっていく。最期をどう迎えるか、その時幸せかどうかは、どう生きたかで決まる。”生きた”時間が長くとも短くとも懸命に生きたなら、その最期はハッピーエンドなのだ。
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