高橋早苗

天空の城ラピュタの高橋早苗のレビュー・感想・評価

天空の城ラピュタ(1986年製作の映画)
4.0
一番好きなシーン

シータから冷たく突き放されたパズー
とぼとぼ我が家へ帰る
そして空中海賊に囚われる

思い直した彼は
飛行石を狙うドーラに取り入り 囚われのシータを助け出すべく
フラップターで要塞へ とって返す


かの地は火の海
塔のてっぺんに見つけたシータを 辛くも助け出す

…ドーラの貫禄の影に 隠れがちで控えめに見えちゃうのはまぁ、致し方ないところ
↑オンナは度胸ですから^_^


….それまでの彼は
ラピュタを見た父は 周囲から嘘つき呼ばわりされ
代わりに僕が見つけるんだ!とはいうものの 飛行機は自作中
夢見るだけの少年


少年は 少女を助け出して初めて
確かな手応えを得るの

空から女の子が降ってきたことに ドキドキしたのと同じくらい
シータを助け出したという事実が
彼に 彼の人生に チカラを与えるのね



そしてもうひとつ。
ラピュタといえば滅びの呪文

「バルス!」が ああも人気で
皆こぞって言いたがるのは
自ら始めた冒険を《終わり》にできるのは
ヒトの特権だから。
皆、終わりにしたい何かがある


パズーもシータも
呪文を誦えることで

シータは 名を隠し、生まれを隠し
隠れるように生きてきた子ども時代から

パズーは 父の面影を追い ラピュタを追い
嘘つき呼ばわりされて感じてきた
疎外感いっぱいの子ども時代から


卒業するのです
自ら、終わりにするの。


誰かに決められてきた 子ども時代を終わりにする
ひとつ、大人になるのね

その時、わかる
…憧れ続け、探し、見つけるものと
本当に欲しいもの(手に入れるもの)は違う

誰もが認めるお宝なんて
あなたのお宝とは違うよ。という意味で



冒険の、本当の意味は
自ら終えた後の
何ひとつ持たない この身ひとつで
“大丈夫。生きていける”と
知るためにあるの(´∀`*)



そして
子どもの冒険は
ひとつおとなになることで 終わるけど

おとなの冒険は 終わらないのよね
・・・ということを
女海賊ドーラを見てると思う


パズーは
成り行きでシータを助け
後に 自らの意思で
シータと共に ラピュタを追うけれど


ドーラは 初めっから飛行石目当て
崩れた線路から落ちた二人を救う 輝く飛行石を見て
「凄い!欲しい!」
・・・素直!これっぽっちも躊躇なしw


「あたりまえさね、海賊が財宝狙ってどこが悪い?」のセリフの通りに

欲しいものは欲しい!
何が何でも手に入れる!
(軍の大砲をかわしながら、その通り仰ってますね^_^)
・・・気持ち良いくらいの直球ストレート。
そして手に入れるためには なんでも使う

身内はもちろん
相手が 訳のわからん島でも
何やってるか分からん 軍属でも
獲物を追ううちに現れた 知らない子どもでも
御構いなし。

機関室を守るじっちゃんから
「堅気に肩入れしてもよ、尊敬はされねーぜ」と揶揄されても御構いなし。

…常識的に 龍の巣?そりゃ入れんだろ?と立ち止まるが
「行こう!おばさん!」と誘われりゃ やっぱり行くw
↑女は度胸ですから^_^


・・・だから、手に入れてるのよね。
捕まっても
身一つでも
その両手に持てるだけの(その身に隠せるだけの)財宝をゲットするの


素直に
目に入るもの 何でも使う
失うことにも 囚われない

それって
何処に行こうが
何をしてようが
身一つになろうが
財宝を手にいれようが
(はじめに狙ってたものが 手に入ろうが入るまいが)

己には この身には
何も変わりはない・・・ってこと。
それを体現してるんだなぁ、おばさん
(パズー風^_^)



・・・“おばさん”呼ばわりをゆるし
男になったパズーを見届けるドーラ

私たちは 彼女の姿に
老いても 夢中になれる何かが欲しいと
そう観ているのかも しれません


おとなの冒険は終わらない
散っても枯れても変わらない
花と同じね(´∀`*)
高橋早苗

高橋早苗