退屈なレオニーをふっと思い出した。
想像の中のアメリカよりも等身大というのか。可愛らしい思春期の雰囲気から思い出したのかも。
子どもが子どもの肩を抱く時というと語弊があるかもだけど、誰かを慰めようとする仕草にこそ大人が宿るのかもなぁと思った。
結果として大人にならざるを得なかったのかもしれないけれど、いつか子どもが親の肩を抱く時が来るかもしれない。
それが成長であり成熟なのだとしても、主人公がシャラメに激怒した時の、まじないじみた妙ちきりんな思い込みの持つ切実さはそれとして記憶しておきたいなと思った。
そして、テロ以降コロナ前の風景が今はかえって懐かしい。