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ふたりの友人のukigumo09のレビュー・感想・評価

ふたりの友人(2015年製作の映画)
3.4
2015年のルイ・ガレル監督作品。父親であるフィリップ・ガレル監督の作品に幼いころから出演しており、現在ではフランスを代表する若手俳優に成長したルイ・ガレルによる長編初監督作品が『ふたりの友人』だ。父フィリップだけでなく、祖父モーリスも名俳優であったという血統書付きの映画人であるルイ・ガレルが監督としてどのような手腕を見せるかが注目の作品である。本作は2015年のカンヌ映画祭の批評家週間に出品された。

父フィリップの映画の多くは自身の体験を反映したものとなっており、キャストも自分の妻や父、息子など身の回りの人物を多く起用するのが特徴だ。ポスト・ヌーヴェルヴァーグの映画作家と評され、映画監督ジャン=リュック・ゴダールからはその作風から「ガレルは息をするように映画を撮る」と独特の賛辞を受けている。

『ふたりの友人』が長編初監督作品とはいえルイ・ガレルはすでに3本の短編映画を製作している。特に2作目の『小さな仕立て屋(2010)』という作品はモノクロ撮影による深い陰影の美しさやヒロインであるレア・セドゥのアップの画など父フィリップを想起させるような見事さだ。そして3作目の『La règle de trois(2011)』は主要キャストの3人がゴルシフテ・ファラハニ、ルイ・ガレル、ヴァンサン・マケーニュということで『ふたりの友人』の座組はここですでに誕生している。ヒロインのゴルシフテ・ファラハニは当時のルイ・ガレルの私生活のパートナーでもあり、それだけでも父のDNAを色濃く感じることができるだろう。

パリ北駅の売店でサンドイッチを売る女性モナ(ゴルシフテ・ファラハニ)に恋する男クレモン(ヴァンサン・マケーニュ)は、「もう来ないで」と拒絶の言葉を浴びてもその純情な一途さで彼女を振り向かせようと近づいていく。駅の柱の影からそっと現れる彼はほとんど犯罪レベルの不気味さだ。ヴァンサン・マケーニュが演じるこのクレモンはギヨーム・ブラック監督作品で見せるピュアな部分と、接近禁止令が出ているにもかかわらず別れた妻との子供に会いに行ってしまうジュスティーヌ・トリエ監督作品『ソルフェリーノの戦い(2013)』などで見せる危険な部分を合わせたようなキャラクターで、ここ数年急増中のヴァンサン・マケーニュファンにはたまらないお芝居を見ることができる。

クレモンは友人のアベル(ルイ・ガレル)に恋の相談をするのだが、アベルも変わった人物で暴走するクレモンを制止するどころか、モナが帰宅のために乗り込んだ列車から彼女を無理矢理外に連れ出してしまう。アベルは、繊細すぎて周りに迷惑をかけてしまうクレモンとのエキセントリックな友情なしには生きていけないような人物だ。

冒頭のモナのシャワーシーンを見れば分かるように、彼女は秘密を抱えて生きている。その秘密ゆえにクレモンを拒絶していて、そうでありながらクレモンとアベルを求めているような複雑な女性である。

この3人の友情や愛情がうまくいくはずなどなく、クレモンは恋敗れて自殺未遂までしまう。この時3人は映画のエキストラをするために撮影現場にいるのだけれど、その現場は1968年の五月革命を映画化したもののようで、俳優としてのルイ・ガレルの出世作と言えるフィリップ・ガレル監督作『恋人たちの失われた革命(2005)』を思わせるような現場で面白い。

病院に担ぎこまれたクレモンを見舞った帰りにモナとアベルはカフェに立ち寄り、そこでモナのあまりにも美しいダンスシーンが始まる。このシーンだけでも監督ルイ・ガレルの映画的才覚とゴルシフテ・ファラハニへの愛情が見てとれるだろう。

この映画の3人の関係性はギリギリのところで成り立っている。彼らは1人でも2人でも3人でもこの映画の中でよく走る。突然走り出したり、追いかけたり逃げたりすることで彼らは危ういバランスを保っている。短編『小さな仕立て屋』を思い返すと、主人公の仕立て屋見習いの男は、仕事にも観劇にもデートにも時間がギリギリで移動は常に走っていた。この走るというのがルイ・ガレル映画の共通した身振りなのだろう。
『ふたりの友人』で監督としての才能の片鱗を見ることができたので、これから先また監督作品があるなら、ギリギリの状態の中で走り出すルイ・ガレル的登場人物たちに注目したい。
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