Solo1968

モンタナの風に抱かれてのSolo1968のレビュー・感想・評価

モンタナの風に抱かれて(1998年製作の映画)
2.9
ロバートレッドフォード
監督主演(?)作品となると、男臭さと優しさと正義感満載な全部いいとこ取り 的なものを予想していたが、結果的にいいとこ取りではあるが、作品紹介における大筋では表現しきれない、作品の良さを存分に堪能して感動することが出来た。
 
直前に見たブラックビューティーのリメイク版の肩透かしからの反動もあり、冒頭の映像の質感から良い期待が高まり、がっかりすることなく、想像のつかないような人間模様なども今の年齢の自分にとっては、とても自然に受け入れられ とても良い気持ちになれた。

ロバートレッドフォード扮する
馬と心を通わせる事が出来る伝説の?ホースウィスパー(←作品の原題です)、幼きスカーレットヨハンソン扮する 事故によりこれまでの人生からの失落により 心身共に大きな傷を追ってしまう少女、その母親でニューヨークに本社を構える人気雑誌編集長として活躍する母親、とその亭主。

 ありがちな設定である、両親共に家庭よりも仕事優先で子供の事は二の次で、、親子の関係が悪化して子供はより親に対して壁を作り距離を置き、そんな寂しさに気づけず 仕事を最優先する親、というものかと思いきや、バリバリのキャリアウーマンの母親が、共に娘とその愛馬が受けた大きく悲しい事故により受けた物理的な身体の疾患や心の傷に対して、何とかして 事故以前のような健やかな状態に戻したいという想いで、遙か遠い地にいると言われている伝説の男の元に傷を負った娘の愛馬と娘と共に訪れ 物語はゆっくりと進む。
 娘を想い、その愛馬を想い 全力で不慣れな土地での生活をして
親子の関係を徐々に取り戻す その速度感も絶妙で、思っているほどあっさりとはいかない感じも結果的にその辛い時期があってこその終盤がより活きてくると思えた。
 ありそうな予感はしたものの、やはり、、となる母親とレッドフォードの距離感 とそれぞれの思いも 一度見ただけだと この関係性を描く場面にもかなりの時間を割いている事やむしろ、この関係が主軸にすら思えるほどで これは要らないんじゃないか?とすら思えたが 逆にこの人間関係が無いと作品自体は割と薄味になってしまうし、何とも微妙な感じだが、ラストで描かれる 母親の運転する車から カメラが引き、離れていく構図に台詞無しで未来、結末を見る側に委ねるエンディング。これも決して珍しい手法ではないが、ジーンと余韻に浸り、エンドロールクレジットを延々と見ながら作品を心に染み込ませるのにとても適していて、制作側の思惑通り?に自分は心地よい感動で身終える事ができた。

 若き日のスカーレットヨハンソンは、既にこの頃から役者としての凄まじい演技をこなし、思春期の気難しい少女の移りゆく心を目の演技で演じているのも圧巻。

 この時期では既に ナイスミドルから初老に片足を突っ込んでいるレッドフォードも ブラピの20年後のように見えるが、やり過ぎず、かつ美味しいところを持っていくが、あの笑顔は若い日からずっと痺れるほど素敵で たまらない。
 
 悲しいバッドエンディングにはならないであろう、きっとエンディングでは全てがうまくいってめでたしめでたしになるとは観る前からわかってはいるものの、少女と馬の心が再び結びつくシーンは涙なしには見られない。
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