演出4
演技3
脚本4
撮影5
照明5
音楽4
インスピレーション4
カメラ好きの青年イザクは、若くして他界したアンジェリカという女性を撮影した瞬間、恋に落ちる。死んでいるはずのアンジェリカが、イザクに向かって目を見開き微笑みかけたかのように見えた、その瞬間に。
恋い焦がれ悶々とするイザクは次第にアンジェリカと魂の交流を図るようになる。下宿先の大人たちから心配されるほど、現実生活が危うくなってくる。イザクの魂は、アンジェリカとともに天に向かって彷徨い出す。
一方でイザクは自然と(無意識的に?)現実世界に自らを固着させようともしている。下宿先の、川を挟んで対岸の畑を耕す農夫たちのポートレートの撮影に勤しむことはその最たる例だ。労働は生の象徴である。「生」が大人しくカメラに収まり(まるで命令されたかのように従順にカメラに撮られる農夫たち)、本来動かざる「死」がカメラにむかって「反逆」する(アンジェリカの微笑み)という逆説的なモチーフが特徴的である。
アンジェリカの罪なき死への誘いと、生への固着の間を揺れ動きながら、次第に気がふれていくイザク。だが彼の想いはただ一つ、アンジェリカと一緒になることだった。彼の魂は生死の垣根を越えて愛を求めるだけだ。
オリヴェイラ監督の名作『世界の始まりへの旅』に見られる、ある一つの終わりの先に地続きの始まりが存在する、という思念が、ここにもある気がする。イザクの魂は一つの人生を終え、次の人生へと向かった。
現世にも来世にも開かれていた窓(農夫やタンクローリーを眺める場であり、アンジェリカの霊体との出逢いの場でもある窓)は最後に、女主人の手によって閉ざされるのは、それを表しているのかもしれない。