ーcoyolyー

アンジェリカの微笑みのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

アンジェリカの微笑み(2010年製作の映画)
4.0
百歳超えた人の目で世界を見る。そんな追体験ができるのはマノエル・ド・オリヴェイラ作品以外存在していないわけですよ。映画の歴史の中で年齢三桁で商業作品を撮ったのこの人だけなんだから。年齢三桁の人に見える世界を追体験できる得難さ尊さ。俗世の垢を洗い流した純度の高い世界の美しさ。若造に「世界は美しい」とどれだけ言われても鼻白むだけですが、百歳超えたオリヴェイラに「世界は美しい」と言われると何も抗うことはできなくなる。そういうものです。緊張感が漂っているわけではないのに他のことができない。目が離せない。そういう映像詩。

百歳超えた人のまなざしは仙人のように枯れたものではなくて全てが瑞々しい。ひとつひとつに触れるたびいちいち新鮮な驚きに満ちている。無邪気な悦びに満ちている。

イザクさん名前からしてユダヤ人なんだけどユダヤ人の彼がカトリックの文化に触れてそのひとつひとつが新鮮に弾けているの、あれがオリヴェイラの目に映った世界のそのままなんだろう。異教徒による異化効果を借りてこの世のひとつひとつ全てを慈しみ愛しんでいる。これは月に帰る直前のかぐや姫のまなざしだ。あれと同じだ。人びとの愚かさすら慈しみ愛しんでいる。

ピアノの音が気になって気になってこれ誰の演奏だ?とShazam先生にお伺いしたらマリア・ジョアン・ピレシュで!その名前が飛び込んできた瞬間私の目は潤んで、そうか、そうだよ、そうだよな!と。マノエル・ド・オリヴェイラと原風景を共有しているポルトガルが生んだ(数少ない同時代の)世界的芸術家だもんそうだよこの人しか有り得ないよな、どうして私すぐこの人だと気付かなかったんだろう、好きな音を出すピアニストなのに、ポルトガルといえばピレシュじゃないかと。ショパンのピアノソナタ3番は聴き慣れてないからって私はあの音どれだけ聴いてたんだよ…あの音で普通判断できるだろう…

ピレシュの名前見て涙ぐんでピレシュの音が聞こえるたびに涙ぐんで農夫たちに向けたカメラのシャッターの音が聞こえるたびに涙ぐんで、オリヴェイラの目の中に身の置き所がある人や物を認識するたびに涙ぐんで、ああ世界は美しいんだなって涙ぐんで、残された時間があと僅かという人の目に映る世界はこんなに美しいのだなと涙ぐんで。

ガルシア=マルケスの遺作『わが悲しき娼婦たちの思い出』にも繋がる世界観で、同時にジャン・コクトー映画を彷彿とさせる世界観もあってこの二人と同世代だっけ?と調べてみたらオリヴェイラ1908年生まれ、ガルシア=マルケス1928年生まれ、コクトー1889年生まれでほぼ二十歳ずつ離れていて、百歳超えると前後二十歳くらいまで同世代感出てくるという新たな知見を得ました。オリヴェイラは青春時代にコクトーの映画を新作として観ることができた世代なんですね。

ただ私、ユダヤ人の遺体にああやって十字架を置く意味が読み取れなくて、そこだけ今必死になって考えている。2022年にあれはマイクロアグレッションになりそうでやれないと思うんだけど2010年制作ならそこまで気が回らなかったというだけでいいのかな…
ーcoyolyー

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