菩薩

チリの闘いの菩薩のレビュー・感想・評価

チリの闘い(1978年製作の映画)
4.5
9月11日、それはあの日以来アメリカにとっては「テロとの闘い」を意味する重要な日なのかもしれないが、チリにとっては希望の芽が潰え、そして悲劇が開始された日を意味する。ベトナムの大地を枯らしたアメリカは、チリの内部を莫大な資金をばら撒き着々と腐らせていった。左派対右派、ブルジョワ対プロレタリア、社会主義対帝国主義の熱き闘い、右派の経営者層がアメリカの資金援助の元長期間のストに突入して行くのに対し、労働者達は耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、自らの信念をサルバドール・アジェンデに全て託し、彼を守り、また国を守る為、バスすら走らぬ状況の中、それでもなんとか駆り出したトラックにしがみつき、またある者は歩いてでも職場に赴き、その手に課された生産性を最大限に維持しようと努力を続ける。流通が止まればそれすらも自ら管理下に置き、人々は自主的に連帯を為し、自由と平等を手中に収めようと、常に最善の策を模索しながら行動を続ける。社会主義にももちろん欠点はあるだろうし、資本主義にも欠点は大有りだ、民主主義も当然同じで、衆愚政治に陥ればそれはすぐさま独裁、内政の腐敗へと繋がっていく。ただ一方的に左派の、人民の正当性ばかりを訴えている作品でも無い、右派には右派の論理があり、アメリカの後ろ盾さえ無ければ、彼等には彼等なりの国を守る為の考えと言うものがある。南米の赤化を食い止めるとの大義名分の元、自ら標榜する「民主主義」を完全に破壊し、ピノチェトの独裁、そしてその後の大虐殺を完全に黙殺したアメリカの罪は、永遠に消え去る物では無い。これは監督にとっての、チリの人民にとっての闘いの始まりの記録、かつてその国にあった確かな希望の姿、痛みながらも後世になんとか繋がれたこのフィルムは、アジェンデの片方だけ残った眼鏡のレンズの様に、今日も世界を見つめ続けている。
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