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写真家 ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のことのslowのレビュー・感想・評価

5.0
昨年末、何月のことだっただろうか。寒波の影響で雪まじりの強い風が吹いていた、ある休日の朝のこと。ながら見にとつけていたTVの声がちょっと気になり、洗い物を濯ぐ手を止めて、そちらを見やる。放送されていたのは、ひとりの女性菓子職人のドキュメンタリー番組で、カメラは彼女がお餅を作る姿をゆっくりととらえていた。わたしは水の冷たさに赤くなった指を労わるように交互に握りながら、彼女の働く手に惚れ惚れし、またその笑顔や生き方にも感銘を受け、ついさっきまで全くの他人だったその人が、心を擽りながらすっかり懐に入り込んで来るのを感じていた。番組終了後、このあたたかな気持ちのやり場が欲しくなったわたしは、すぐにネットで面白そうなドキュメンタリー映画はないかと探し、その場で注文したものが本作。恥ずかしながら、この時点でソール・ライターという方についての知識は何一つ無い状態。彼は何を擽ってくれるのだろう。
数日後、届いた商品の封を開けると、中に彼の作品をポストカードにしたものが封入されていてにっこり。写真はどれも自分好み。その生みの親とはどのような人物なのだろうか。満を持して本編を再生すると、間もなくソール・ライター、その人の声が聞こえてきた。その声は、世界のおかしみを知り、感じ取ることを得意とする人のそれで、つまりそれは被写体を逃さない写真家としての嗅覚のようにも思えた。しかしながら、派手に飾らず、とても身近な調子で自分を語る様は、この人がソール・ライター氏であるということを忘れてしまいそうになる程、どこまでも自然体だ。そこにあるのは思い出と猫とささやかな暮らし。ただ、それだけ。様々なコレクションや華やかな社交場に招かれ、何百何千という人々と挨拶を交わす。そんな、いくらでも劇的になり得た人生を半ばで蹴ってまで、彼が選んだ人生とは。

年末に購入して、レビューも書かずに何度も何度も繰り返し鑑賞していた本作。これは傑作とか名作とか、そういう感じでもなくて、ちょっと大事な映画だなと思えたから、レビューを書けなかったのかもしれない。ドキュメンタリーの評価ってその人が好きかどうか。出来はあくまで監督の腕であり、だからと言って監督を評価しても面白くない。短い時間でソール・ライターの人間味(込み上げるものを堪えたり、ちょっとムッとしたり)を一部でも垣間見ることができたのは良かったし、個人的には大満足。素敵な方だな。同じくドキュメンタリーで好きになった写真家ビル・カニンガムとは生き方も語ることも語らないことも対照的ではあったけれど、どちらも大好きになった(お二人とも亡くなってしまったのは本当に悲しい)。そして、本作に巡り合わせてくれたあの日のドキュメンタリー番組に感謝。
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