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明日はないのotomisanのレビュー・感想・評価

明日はない(1939年製作の映画)
4.0
 言葉は受取り様である。「明日はない」と聞かされては夜の闇に消えたエヴリーヌの辿る先は大方知れている。しかし、息子と昔の恋人を共に偽って手放したこの夜の明くる日を"lendemain"と告げるだろうか?
 ネットの辞書の答えによれば、"sans lendemain"は「束の間の」ほどの意味に過ぎず、どこに人生最大の悪運を捉えられるだろう。そしてこの束の間の三日間でありったけの気力を絞って恋人と息子に投げかけたうその数々だが、エヴリーヌが亡夫のせいで絡めとられた悪い仲間たちの企みを思えば、そのうそを誰が非難できるだろう。したがってエヴリーヌの失踪に死を予感すること自体が不当と知るべきである。

 もう一つ無視できない事は、戦争の趨勢である。39年9月の対独宣戦ののち、ヒトラーの主戦場はポーランドから北欧に広がるが蘭耳仏方面、西部戦線では睨み合いにすらならない長い無風状態「奇妙な戦争」期が40年5月まで続く。
 戦況への不安から39年12月に地中海の向こうアルジェで上映を始めたのだろうが、やっと40年3月にパリに戻って来たこの映画は、話中、北米への船便があることから開戦以前の物語としているわけだ。おそらく不穏な対独関係を横目にしながら制作を始め、期間中に開戦を迎えたのだろう。
 ならば、物語のエヴリーヌの過酷な10年は同時に現実の全フランス人にとってドイツの強引な男に向き合う10年でもあったはずだ。政府の及び腰の一方で、対独牽制を果たしてきたフランス人が、いやな過去に苛まれようとエヴリーヌが何の気後れゆえの死を望むと考える謂れがあるだろう。
 現実には向こう5年間のあのありさま、映画公開から三か月で陥落するパリではあるが、出国の道が断たれる間際、息子だけでもカナダ人に託すを得た母親に快哉を叫んだに違いない。

 こののちに起こる悪い仲間の追求をどう躱すのか、かりそめの相方アンリとはどうなるのか、分からぬ事尽くめなエヴリーヌの明日が暗いのは39年12月の全フランス人と同様の事である。その明日を死で染めて表明する理由がどこにあるだろう。
 むしろ後顧の憂いを断ち切ったエヴリーヌのその後が闇の中から始まる事について、奇妙な戦争下のフランス人は、まだ何時とは定まらない「明日」の意味を、死に向かうがごとき明日などない、と噛みしめたのではないか。
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