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ぼくのエリ 200歳の少女の3110133のレビュー・感想・評価

ぼくのエリ 200歳の少女(2008年製作の映画)
2.1
たぶん何か掛け違えただけなのかもしれない。

友人の推薦ということもあって鑑賞したのだけれど、どうしてかな、まったくダメでした。この映画自体の評価も高いようだし、たぶん私が何か掛け違えてしまったのだろう。

ストーリーや演出、構成や展開、映像言語、感情の機微やその動機にずっと違和感を感じつづけ(理解出来ないとか感情移入できないといことではなく、作品にとってそうする必然性ってあるのか?という意味で)。
気になりだしたら、200年生きているバンパイアであることを示すのに、ああいうアイテムを見せることとかいるの?とか部屋に入ることを認められないと血が溢れ出してしまうのとか、もろもろが説明的にしか見えず・・・。猫の強襲や人体発火では声をだして笑ってしまった。そんな全てを説明して明示しなくてもいいよー、だから長くなっちゃうんじゃない?もうそのくだりとか、執拗な演出しなくても・・・ってなっちゃったんだけど。
つまり質的に稠密だと思えなかったということ。

ラスト近く、プールで足踏みする時のカーレ・ヘーデブラントの笑顔がすっごく可愛くって、とってもよかった!

なぜこの映画がうまくハマらなかったのかをきちんと考えないといけないな。この映画が評価されているように優れたものであるとすると、私が抱えている問題は重大。

映像がよく構成されて美しいのは確かなんだけれど、それならばそれだけをずっと観ていたかった。なにもかもが美しく、人間的な意味をもたず、わからないものでよかった。
ナンシーが指摘するように美が快適と崇高の間で揺れるのだとすれば、崇高への指向性をつねに持ち続けなければならないだろう。あるいはこの映像の美しさはバークの言う快と交換可能な優美だろうか。
バンパイアという存在は、人間の枠組みを漏れ出た崇高への逃走線を描くもののアレゴリーではなく、人間の想像力の内側で優美に振る舞うだけのものでしかないのだろうか。
もしそうだとすると、オスカーもホーガンもエリに奉仕する犠牲者ではなく、彼らはエリを優美的快楽の対象としているのだろう。人間って怖い。
そう思うとエリは芸術のメタファーで、人間はその崇高への指向性を去勢させ、優美的な愛玩物にしてしまっているという、現代の芸術のアレゴリーとして観れなくもない?アドルノ+ホルクハイマーのセイレーンのくだりのように。
まあ、だからといってなんだって話なんだけど。
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