若者よ、悦びに貪欲になれ…本能に従って。
皆さん大好きなサディズムの由来となったマルキ・ド・サド侯爵の物語。
フランス革命(1794年)政治混乱期の中、貴族で小説家のサド侯爵は道徳的・宗教的・法律的観念に囚われず、肉体的快楽を追求するポルノグラフィーを生み出した。
生きる証とは何なのか…。
それは悦びを感じることだ。
では一体、悦びとは何なのか…?
人それぞれ悦びの定義は違うだろうが、人間が生物である限りその悦びの本質は1つしかない。
言わなくても皆、答えは知っているはずだ。
それを知らずして人生を終える事は、生きている証を放棄したも同然である。
何も難しいことは無い。
ただ本能が示す通りに進めばいい。
サド公爵の手を借りなくとも今は自由の時代、特にこの現代日本にはそれを享受できる恵まれた時代。
解放しなさい、解放させない。
ココロの奥に閉じ込めた破裂寸前の悦びの泉を存分に溢れ出させよう。
サド侯爵役の〝ダニエル・オートゥイユ〟の残酷な恐怖と弱さを隠した笑顔が恐ろしくも人間らしい。
16歳の無垢な伯爵令嬢は清楚で品を持ち、大人の世界に好奇心を内に秘める処女を〝イジルド・ル・ベスコ〝が上手に演じている。
特段、美人でも可愛い訳ではないが不思議な存在感が男心を擽り、少女と女の狭間を行き来する妖艶な魅力が何故かある…『17歳の夏』でも同じような事を言ったかもしれない。
サド侯爵が題材で〝発禁本〟という見てはいけないモノを見るようなタイトルの響き、更に〝無修正版〟にかかわらず自分には少々物足りない描写で少し拍子抜けした…本の話しだと思った自分が悪かった。
別に自分が過激なサディストだからと言う訳では決してありません。
サド侯爵自身の波瀾万丈で過激な思想や行動に、固定観念を抱きすぎていたかもしれない..★,