ーcoyolyー

ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

3.3
NYジャクソンハイツ地区にいらっしゃるコロンビア系移民の人々が2014年サッカーW杯ブラジル大会をスポーツバー観戦してる様子で流れている試合の相手が青っぽいユニフォームのチームで、この大会日本もコロンビアと同じグループでしたからちょっと気になって一時停止して調べたんですけどユニフォームをよく見たらウルグアイ代表でした!決勝トーナメント初戦でウルグアイに勝った瞬間ですね。私以外にもここ気になる人いるかもしれないのでまず書き添えておきます。

こういうものを観る時、私は自分がアジア人の女であることを強く意識します。我々日本生まれ日本育ちの日本人はそうしないとすぐ自分を名誉白人として移民になる方ではなく移民を受け入れる方の上から目線になりがちだから、そうではないんだ、私はアジア人だ、この人たちを差別する側ではなく差別される側なんだと忘れないようにします。そしてその立ち位置からフレデリック・ワイズマンに言いたいことは私たちはお前のお勉強の道具として搾取されていい存在ではない、ということです。是枝裕和的リベラルや良識派を自負する優等生から滲む傲慢さがこの人にもある。

この人、白人男性でしょう。彼の親はともかくアメリカで生まれ育った白人男性。WW2以前の旧移民。もうそれはユダヤ人であろうとエスタブリッシュ側の人間なんだよね。アメリカという国を無邪気ではないようでいて結局どこか無邪気に無防備に礼賛しているし礼賛することができる特権階級。彼の無意識で無自覚であろう傲慢な視線はそれを持ち得ない人を撮る時に露になる。貧しく厳しい国から自由の国アメリカへようこそ、という意識が滲み出ている。移民の人々の厳しい現実に向き合う時には緊張してるんだけど、その地域に住む白人男性(イタリア系かな?)が被写体になった途端に安心して「ああいつもの俺のいるところ、俺の仲間」という気の緩みから諸々漏れ伝わってくるものがある。彼はそこに生きる移民と一緒に生きてはいない。あくまでも彼が一緒に生きているのは白人男性のみで、そのことを意識して一線を引くならまだしも立ち位置がとても曖昧。そこに生きる人と同化したいんだけど同化できないという葛藤とすらあまりきちんと対峙してなくてなんだか腹が定まらなくてこちらも居心地悪い。この居心地の悪さは居心地の悪さから逃げないで見据えてたら感じないもので、居心地悪いんだけどなんとか物分かりの良い、わかりやすい物語に落ち着けようとしてるから生まれてしまうもの。この腹や腰の定まらなさはそこから逃げることができる特権を持ちながらその特権をしっかりと意識していない、うっすらと感じているけれどもそれから逃げようとしている姿勢の結果なので、彼のその居心地の悪さが最も象徴的なのは自分と同じルーツを持つユダヤ人コミュニティの撮り方に現れていたりします。イタリア系と思しき白人男性を囲む会ではやっといつものように息ができるとその傲慢さの上にふんぞり返っていたのですけど、ユダヤ人コミュニティでホロコーストの話題が出た時にこちらに伝わってくる心情は宿題をやってこなかった小学生みたいなもので、ああこの人、ユダヤ人であることを利用してジャクソンハイツのコミュニティに潜り込んだけど、あまり敬虔なユダヤ教徒ではなくてホロコーストの話からも逃げてきた人なのかなと思いました、知らんけど。

エスタブリッシュメントが下流社会に触れた時の戸惑いっていつもこんな感じ。お勉強として問題意識を共有するエスタブリッシュメント界隈で持て囃されるけど実像には迫れてるようで迫れてなくて向こう側から拒否されがちな感性ですね。連帯できてないのに連帯できていると思い込んでいるすれ違いが悲喜劇を生むやつです。こういう人がこういうことをやる時は、せめて自分はヘナチョコもやし野郎なので連帯できませんすみません、という出発点は正しく設置して欲しいです。
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