井出

ハッピーエンドの井出のネタバレレビュー・内容・結末

ハッピーエンド(2017年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

ハネケの真骨頂、うんざりする現実と、それを淡々と描写するいさぎのよさ。この美しさはブレッソンに通じるような。ハッピーエンドという強烈な皮肉は、考えたくもないその後の彼女への処遇を鮮明に想像させるものである。
他にも、うんざりする、もうたくさんと言いたくなるシーンがあった。例えば、父親と不倫相手の下品すぎるチャット。もういいよというほどに、気持ち悪い性癖とべちゃべちゃした愛情が、ネットを通して吐露される。他にも発達障害気味のいとこの気持ち悪いカラオケとダンス。彼は優しいのだが、ちょっと抜けていて、彼の筋の通った言動が理解してもらえない。だから憎めない存在ではあるのだが、とはいえ周囲が理解したくもない理由もよくわかる。
登場人物はこのように愚かなやつばかり。ボケているフリをして自殺未遂を繰り返す祖父。彼はボケた妻の介護の末に、彼女の願いで殺したという。普段はボケたフリをして、会う人会う人に殺してほしいと触れて回り、無視される哀れな存在である。
結婚相手とビジネスパートナーになる叔母(それ自体愚かかどうか判断はつかない)。こいつは会社のことしか考えておらず、自社の事故の被害者に対して、できるだけ責任を逃れようとして、くそみたいな対応をする野郎である。それはそれで人間くさくてリアルなのだが。
こうした人たちによって起こる悲劇も胸くそ悪いものである。象徴的なのは、工場現場の崩壊を管理者はラジオを聴きながら、監視カメラの映像で知るというシーンがある。叔母の子である上記のいとこは、素直なあまり遺族にあやまりに行って殴られるが、そのシーンも引きで淡々と撮られていて、切なくも滑稽である。
主人公も母親を殺す。ものすごく純粋で正直すぎる子である。その純粋さは人をも自分をも傷つける。父親のパソコンを覗き、不倫相手との下品なチャットを見て、父親は彼女の母親も愛せなかったし、今の奥さんも、誰も愛せないと事実を話す。でも、施設には入れないでほしいと懇願する。彼女は自分の正直さが異常に見られることを自覚している、切ない存在なのだ。
この映画の登場人物はみな、社会的にみて愚かにも思える部分を必ずもっている。正論でも理解されないし、社会的に思える人でも人には言えない弱点がある。それがうまくいかなくて、いろんな不理解や軋轢が生まれる。社会はそれだけではないしあまりに悲観的にも思えるが、それでもリアルである。社会のやり切れなさを描く天才だと思う。
しかし、とくに主人公のイメージは極めて安直だ。いかにも、最近の子はスマホに依存して、頭はいいけど人に共感できないとか、共感はできるが残虐だ、みたいな、典型的な老人の若者観も透けて見え、それも鬱陶しく思える。しかしこれはおそらく、ハネケ自身も愚かな1人であるという主張だろう。なぜなら、ボケたフリをする祖父は彼女に共感を示し、傷を分かち合うからである。ハネケでさえ理解を示せない人はいるし、理解されないこともある、愚かな存在であることを自覚しているように思える。だからこういう映画を作れる。あらゆる悲劇に目を向けているのだ。
撮り方は極めて素朴で、自然だ。全く辛さを感じさせない、淡々としたノンストレスの撮り方。しかしパーティのシーンでは、ひとの視線に思えるショットが、自然に誰の目線でもないショットに入れ替わる。こういうささやかな技術が、自然さを支えている。
SNSに関する現代批判をも入れ込んでいるよう。
井出

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