海老

ちえりとチェリーの海老のレビュー・感想・評価

ちえりとチェリー(2015年製作の映画)
3.6
「今日は、コンコンと一緒に行く」
そう言って、狐のヌイグルミを抱く娘。
先週はウサギで、その前はネコだった。
映画館に行くとき、娘は決まってヌイグルミを連れていく。
彼ら、彼女らには全て、娘が付けた名前がある。

子供にとって、ヌイグルミは友達。
もう小学生に上がる娘は、ヌイグルミに命が無い事は当然わかっている。
それでも、娘の想像力と愛情によって宿された魂で、きっとこの子たちは"生きている"。

そんな"友達"と、娘と、一緒に観た本作、
長編人形アニメ「ちえりとチェリー」。

まるで、娘の視点で見える世界を体験したかのような。

子供の視点で繰り広げられる、イマジナリーフレンド「チェリー」と共に、小さな魂を救う冒険の体験。
それを通して、ちえりが少しだけ大人になる、"小さな世界"の小さなお話。

ストップモーションアニメの生み出す温もりに心を洗われる。

リアルな奥行き感。それでいてジオラマのような箱庭感が、小さなちえりの世界観を表現しているかのよう。
細かいホコリが、窓から差し込む光に煌めいて舞う様子は、田舎のお日様の匂いが香ってくるようで、何故だか懐かしい。それでいて、古ぼけて軋んだ音をたてる木の階段に廊下は、どこか不安を誘うところも含めて、田舎の心象風景のようで妙に惹かれる。

想像力の豊かなちえり。
彼女から見れば小さな田舎の家屋も大きな世界。庭の飛び石は離れ小島。天井のシミは恐ろしい化け物。軒下の動物もヌイグルミも、人と同じで言葉も話す。

彼女の主観の体験の中で、自分でない誰かの命を慈しむために、幼いちえりは少しだけ大人になる。
自分のことだけを主張していた目が、穏やかに親の顔を見つめるくらいには。

不思議な世界にあってか、全ては彼女の空想か。
それは分からないし、分からなくてもいい。


ちえりを通した世界に触れて、
娘とのある出来事を思い出した。

その日は、娘の一番のお気に入りのピンクのクマを連れて映画館に来ていた。
帰り際になって、娘がそのヌイグルミを持っていない事に気がつく。どうやらどこかで落としたらしく、二人で通った道を探してみるも、見つからない。

半ば諦めつつも、すっかり落ち込んでしまった娘と共に、映画館のチケットカウンターにて、落し物の知らせがないかを問い合わせる。
すぐさま、無線でスタッフ間の連絡を取ってくれる店員さん。それを不安な顔つきで待つ娘。

「ありました!?」
突如として、明るい声音に変わる無線の声。どうやら、どこかの親切な人が、わざわざ届けてくれたらしい。

急ぎ足に、笑顔でピンクのクマを持って娘に駆け寄る店員さんを見て、僕も「よかったね」と安堵し、娘を撫でた。

ただ、娘の反応は、
僕の予想に反するものだった。


「うわあぁぁ……!!!」


喜びの声を上げるのでなく、不安が堰を切ったかのように、娘は大声で泣きだした。人前で声を上げて泣く姿を、この時まで、見たこともなかった。

「ありがとう…」と、泣きながらも必死に絞り出した娘の声。それを聞いて、僕も店員さんも、つられて、耐えられずに涙ぐんだ。

改めて思う。
彼女にとっては大切な"友達"なのだと。

娘の見る"小さな世界"で、再会した"友達"は泣いていただろうか。それとも微笑んでいただろうか。

それは分からないし、分からなくてもいい。
けれども、娘が僅かに大人になる日まで、その手を、握っていて欲しい。
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