えいがのおと

アズミ・ハルコは行方不明のえいがのおとのレビュー・感想・評価

アズミ・ハルコは行方不明(2016年製作の映画)
4.3
衝撃と興奮で、女性の諦めと希望を断片的に描いた作品

私たちのハァハァで、昨年注目を集めた松井大吾監督の最新作。
近年注目の作家、山内まりこの原作の映像化。

27歳で、将来に不安を感じるアズミハルコの失踪までの出来事。
20歳にもなり、意志の欠落している、少女アイリとその友人たちとの、アズミハルコアートの行く末。
そして、独特な存在感を持ち、男性を次々に襲っていく女子高生ギャング団。
本作ではこの三つが、時系列ごちゃまぜに、地方都市独特の雰囲気と共に、映し出されていく。

レビューを散見していくところ、本作は、原作未読者には、やや難しい出来のようだ。
そこが魅力の一つなのだが、三世代の女子たちの生きる様は、断片的に、そして時系列がゴチャゴチャに編集されているためであろう。
これが、謎解きのように感じられてしまうためか、その割に淡々と過ぎていってしまう、彼女らの日々に拍子抜けしてしまうということもあるみたいだ。
しかし、その淡々としているということこそが、この作品のポイントである。
20歳、27歳の女子たちの淡々とした生活を、唯一救ってくれる、ありふれた希望、そしてそれがもたらす絶望。そんな小さな出来事に引き出される感情が、この作品において重要なものなのである。
そのため、断片化した編集は、謎解きを示唆するのではなく、最も感情に訴えかける手法であり、この作品が目指すところは、そこにあるはずだ。
環ROYが務める劇伴には、鼓動が共鳴していたり、人物に寄り添ったピントやぼかしの撮影が多用されていたりするのは、そのためだろう。
その結果、劇的な展開を望む人には、やや退屈であったり、拍子抜けしてしまうのかもしれない。
しかし、個人的には、誰にでも持ち得る未来への閉塞感を、現代的なクールな手法で、そして熱く描き切った作品として評価したい。
また、可能であればそういった視点で、多くの人に何かを感じ取ってほしいと感じた。

さて、細かなところで個人的に好きなところを幾つか。
印象的で面白い画として、冒頭から何度も映される、車のシーンがある。
ほとんどが女子に運転されるのも、象徴的であるし、ウインカーの音が哀愁漂っていて、たまらない。車によって人は、どこにでも行けるようになった事実に反して、彼女たちの操る車は、地方都市の閉塞感を映し出しているようだ。
だからこそ、ラストシーンのオープンカーは、開放的なエンドに相応しかったと思う。

また冒頭から、ハルコがソガのお店で買い物をするシーン。
腰から下しか映されない独特な撮影で、いつまで続くの?と思われる状況がたまらなかった。

中盤の劇伴。打ち込み音が、辺り中から降ってくるもので、新宿武蔵野館で鑑賞したが、劇場で観る価値はここにあるなと感じられた。

最後は、ラスト付近の女子高生ギャング団が、劇場から走り去るシーン。
中からゾロゾロと、JKが出てくるわけだが、後半には何やら老けて見えるJKも。物語の構成として、三世代がいたこともあったが、加えてハルコの職場には、そのさらに下の小学生の少女と、10歳上の先輩がいる。ハルコは、その2人から過去と未来の自分を感じる。そんな物語の構成と、ハルコが女子高生ギャング団と橋の下で出会うシーンも相まって、このシーンで、女子高生とは全世代女子のパワーの結晶のようなものなのかと感じた。

さて、全く触れていなかった、役者達に最後に触れておく。
簡潔に述べれば、完璧だった。
出演者全員が、原作小説からイメージできるキャラクターを最大限に読み取り、演じきっていた。
特にアイカ役の高畑充希は、生き移ったかのような演技で、こういうやつ、いるんだよなぁと言いたくなる。

賛否はあるのはわかる映画だけれども、個人的にはとてもよかったし、少しでもヒットしてほしいなと思う。