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私の血に流れる血のakrutmのレビュー・感想・評価

私の血に流れる血(2015年製作の映画)
3.6
イタリア北部トレッビア川の渓谷にある町ボッビオを舞台に、17世紀の修道院における魔女騒動と修道院があった場所に隠れ住む老吸血鬼を、異端の象徴として描いた、マルコ・ベロッキオ監督のドラマ映画。

本作で舞台となるボッビオ修道院には、中世の頃は大規模な図書館があったことから学問の中心地となった。(なので、ウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』の修道院のモデルにもなった。)その後、15世紀になると学問の中心地としての地位は衰退したため、本映画で描かれる修道院はどこか退廃の匂いが漂っている。そして現代では、年老いた吸血鬼がひっそりと暮らす(と言うか不法に占拠している)廃墟になっている。

キリスト教信者にとって本作がどのようなインパクトを与えるかは無神論者の自分には想像できないが、そんな私が本作を解釈すると、正統と対立する異端が実は尊く美しい、であろうか。異端を代表する存在の魔女(修道女ベネデッタ)や伯爵と呼ばれる吸血鬼の老人がどこか美しく描かれている(魔女の死後の姿が吸血鬼と言われていることを考えると、この二人は同じ人物とも考えられる)のに対して、正統を代表するフェデリコ・マイ(17世紀ではベネデッタに誘惑されて死んだ神父の弟、現代ではロシア人に修道院の跡地を売ろうとするニセの監察官で、どちらもマルコ・ベロッキオ監督の息子であるピア・ジョルジョ・ベロッキオが演じている)はどこか胡散臭く描かれている。ラストシーンなどは、まさに異端が正統を凌駕する瞬間と言える。宗教的なディスりを含意しているかどうかはわからないが、すべての芸術は異端が正統を凌駕することで進歩していくことを象徴しているのかもしれない。

マルコ・ベロッキオ監督の息子ピア・ジョルジョ・ベロッキオ(フェデリコ・マイ)をはじめ、娘のエレナ・ベロッキオ(吸血鬼が惹かれる女性)、兄のアルベルト・ベロッキオ(17世紀のフェデリコ・マイの30年後)と、監督の家族が多く出演している。そして、本作の6年後には、『マルクスは待ってくれる』というベロッキオ家のドキュメンタリーを撮ることになる。
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