昼行灯

牝猫たちの夜の昼行灯のレビュー・感想・評価

牝猫たちの夜(1972年製作の映画)
4.0
影山英俊演じるゲイの青年がすごくステレオタイプなんだけど、それだけじゃなくて、好きになった女の子に無理してセックスさせようとして、失敗して自殺するというストーリー自体が当時の価値観を反映してるよなあ、、
この青年、薄化粧してて、鮮やかな色にワンピースのような広がりのある服を着ていて、さらに話し方も変に抑揚をつけていて女性的に演じられていた。元々影山英俊もまつ毛が長く目が大きくて女性的な顔立ちをしていることもあって配役されたのだろう。当時の男尊女卑的な考えからすると、ゲイを女性的に表象することは、彼らを下に見ている感じがする。

単に女性的なゲイもいるものだけど、好きな女の子との行為を見ていて欲しいとせがむ青年は、積極的に見られる対象に身を置いている。見られていないと勃たないという彼は、男性に欲望されることを欲望するという、男性の女性への幻想を自らに置き換えているように思える。そうすることで、主人公の男からの愛を享受できると青年は思っているのだ。そもそも青年が異性愛セックスをするのも、主人公の男を喜ばせるためでもあり、好きな女の子を前にして懸命に勃起に励む青年の表情は痛ましい。

主人公の女は男の愛人である青年を面白く思ってなかったのに、青年の不能を治すために協力させられて可哀想だった。デパートの屋上で青年の胸に傘の先(針になっている)を突き刺し、回転させるショットが突然挿入されるけど、あれは女の妄想であり願望だったのだろう。だが痛いかと女が青年に聞いた時、青年ではなく男が痛いと答えたのは不自然で、どこからどこまでが妄想かは不明確に表されている。
青年がマンションから落下する際も青年が途中で傘にすり変わるため、この妄想は現実と関連があったように思える。落下する傘のショットと階下の喫茶店でゲラゲラ笑う男のショットがカットバックで繋げられていたのが残酷だったし、このことから監督は女だけでなくゲイまでも操作しようとする男の卑劣さを主題にしていたのかとさえ思った。

結局青年は主人公の男と女の仲を盛り上げるために存在していたのだろう。男は青年が死んだ後落ち込むけど、そのままトルコ行って女にケアしてもらうこの感じ、女は悲しみを共有しながらも自分のところに男が戻ってきて喜ぶこの感じ、、😢ラストのシャッターが上がる運動は、青年の自殺の落下運動と対比させられているのだろうが、本当にそれでいいのか?真に朝日は昇るのか?ロマンポルノにおいて性的マイノリティは添え物、引き立て役として扱われる場合が多かったのかもしれない、、

面白い演出が多くて、ぼかし入れなくていい所までぼかしを入れてるところなんかはロマンポルノに対して自己言及的でよかった。冒頭のウインナースパゲッティの隠喩や荘厳な賛美歌?の音楽が流れるシーン、ぶら下がってるキャベツなどギャグテイストもふんだんに感じられて楽しかった。
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