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ヒーローマニア 生活のnetfilmsのレビュー・感想・評価

ヒーローマニア 生活(2016年製作の映画)
2.8
 中津(東出昌大)はコンビニ弁当をかっ食らうと、書き終えた履歴書に目を通す。そして「一身上の都合により退職」の一行を修正テープで消していく。夜の堂堂市のさびれた商店街「なごみ商店街」は、不良やタカリの巣窟のような様相を呈している。ホームレスの炊き出し、怪しい屋台、チーマーたちの威圧を何とかくぐり抜け、いつものコンビニで深夜のバイトに励む。店内にたむろし、酒盛りする中年男性、化粧品を落とし割ってしまうギャル、コピー機に乗っかる中学生たち、隣を見ると、同僚の店員がイヤホンをして音楽を聴いている。あまりにも無気力な日本の未来の架空都市。カップ麺を買ったチーマーに言いがかりをつけられ、止む無く土下座させられ、現金数千円を奪われる有様。チーマーが怒り、投げつけたカップ麺が、立ち読みをしていた若者・土志田(窪田正孝)に当たる。最低な日常、底辺の暮らし、一向に回らない運を主人公は嘆くが、次の瞬間、先ほどまで立ち読みした青年の物凄い飛び蹴りを目撃し、主人公の心に稲妻が走る。バイトを放棄し、風のように立ち去る男を執拗に追いかけると、共同住宅の前で男は何やら不審な行動をしている。次の瞬間、ワイヤーでくくりつけられたベランダの柵に男は飛び乗り、いとも簡単に女性ものの下着を盗む。だがその瞬間を携帯写メで部屋の主カオリ(小松菜奈)に激写される。川沿いの土手で中津は土志田に対し、「この腐った街のクズたちを一掃しよう」と持ちかける。その言葉に土志田は「夜だけなら」の名目で応える。こうして日本版アベンジャーズ、和製ジャスティス・リーグのような世直しチームは組織される。

核となる2人が集まり、それに共感した人間たちが1人もう1人と増えていく物語と言えば、つい最近でも『ちはやふる』のような青春群像劇が挙げられるのだが、今作も例外ではない。元々は「若者殴り魔」の名目で、彼らの天敵になっていてもおかしくなかったおじさん日下(片岡鶴太郎)との奇妙な友情と階層ピラミッドの講義、更に被害者だったはずの女カオリのサポートもあり、世直しチームは早くも盤石の態勢に整備される。だが荒廃する未来都市を守るという建前の割りに、彼らが相手にするゴロツキたちのスケールがあまりにも小さい。世直しのための巨悪と言えば普通は政治家や官僚、ヤクザや猟奇犯罪者などだが、彼らが相手にするのはその辺でたむろするチーマー集団ばかりで、権力者の姿はどこにも出て来ない。これにはごく当たり前に、『必殺仕事人』のような痛快さを期待する層は肩透かしを食う。懲らしめた相手を高く吊るすというのは西部劇のアイデアだろう。だが肝心要の吊るされる相手は賞金首でも権力者でもない。私は原作を読んでいないので何とも言えないが、この脚本上の厨二病的な幼稚さは如何ともしがたい。そもそも自分たちがヒーローたると自認する根拠はいったいどこにあるのだろうか?『アイアムアヒーロー』は主人公である鈴木英雄が、自分が英雄という名前にも関わらず、愛する人の命を救えなかったことへの自責の念に駆られ、ヒーローになりたいと願う。『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』や『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』では、アメリカのヒーローは世界のヒーローではないという現実を突きつけられ、スーパー・ヒーローたちはもがき苦しむ。しかし今作の「TURUSI-MA」の4人にはそのようなヒーローと生身の人間との間の葛藤がどこにもない。

中盤以降、明らかにテンポ・アップする物語の意外性は認めるものの、『狂い咲きサンダーロード』や『セーラー服と機関銃 -卒業-』を観た者からすれば別段目新しくない。カルト化・右傾化する社会に引き裂かれ、ヒーローたちはそれぞれの思想で雲集霧散を繰り返す。あまりにも稚拙な脚本ながら、大袈裟な悪役像に徹した宇野(船越英一郎)のやりすぎ感に救われている。船越英一郎のあの屋上でのダンスは今年上半期一番の怪演と言ってもいい。ある意味、去年の怪演No.1である『暗殺教室』の高嶋政伸を凌ぐ怪演ぶりであろう。カオリの峰不二子ばりの突然の変節は当然としても、土志田のような純朴そのものな青年が組織の闇に巻き込まれた例は、オウム真理教事件でも記憶に新しい。東出昌大の相変わらず線の細い無骨な演技に物足りなさを感じつつも、やはり一番の問題は団塊の世代たる日下の気の迷いである。孫を抱く幸せよりも、現代社会を憂いたまでは良かったが、事件の元凶は間違いなく日下にあり、友情や愛情は土に塗れる。それ自体が若者世代のモラトリアム感情を喚起しつつも、団塊世代の変節と自己反省による暴走の面倒臭いツケは、こうしてゆとり世代に託される。夜道は危ないから土志田に送らせるというセリフにもかかわらず、道中が真っ昼間だったり、冒頭何度も登場したヌートリアが随分あっさりと途中退場したり、様々な未回収の伏線は依然として物語上を漂流する。ラスボスである謎の黄色いレインコートの人物の正体も、キャストの並びを見れば、自ずと推測出来る悲しさ。そもそも日本映画はいつからヒロインを綺麗に撮らなくなったのだろうか?宇野がナイフで切ったステーキの一切れを、カオリが口に運ぶ場面の下品な色味に、近年の日本映画の質の低下を思わずにはいられない。
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