糸くず

ヒーローマニア 生活の糸くずのレビュー・感想・評価

ヒーローマニア 生活(2016年製作の映画)
4.8
和製ヴィジランテ映画の傑作、ここに誕生。

そもそも建国の時から「自分のものは自分で守る」という独立の精神を育んできたアメリカ人などとは違い、海に囲まれた平和な島国に住む日本人にとって、自警団はまったく必要性もリアリティもない存在で、そんなことをわざわざやりたがるのは変態か気違いしかあり得ない。この映画の「ヒーロー」たちも結局は単なる変態と気違いの集まりに過ぎず、中津(東出昌大)は人を吊るのが好きな変態で、土志田(窪田正孝)はパンツ泥棒だ。彼らは理念のないヒーロー気取りで、中盤のヒーローの法人化によって、その理念のなさを看破される。理念なき力がビジネスに取り込まれると、生まれるのは人々を恐怖によって支配するシステムだ。だからこそ、「警備員」たちのリンチにぞっとするのだし、終盤の本当のヒーローとしての闘いが真に迫るものになる。私利私欲とは別のところに、ヒーローの闘いがあるのだ。

自警団の暴力はファンタジーの暴力であるが、この映画にはリアルな暴力が噴出する瞬間もある。それはレインコートの通り魔による殺人の場面で、正体も動機もわからない暴力はおぞましい。通り魔殺人は日本人にとって現実的な恐怖であるから、ヒーローたちの暴力の痛快さと通り魔の暴力の痛みの描き分けは意図的なものだろう。荒唐無稽な話の中にも、リアルが息づいているのだ。

そして、ラストにヒーローとしてハンマーを手に空中を飛ぶのがあの人であること。社会的に見れば弱者であり、「ヒーロー」であることを望まれないあの人がヒーローの意思を受け継いで武器をとる。そこに、わたしは作り手の真摯さを感じ、感動した。世間がどうこうではなく、ヒーローになろうとする者がヒーローになるのだ。

豊島圭介監督は『ソフトボーイ』という青春映画の快作を撮っているが、本作でも落ちこぼれの青春模様を軽快に描きつつ、日本でヴィジランテ映画を成立させる見事な腕前を見せた。豊島監督のような人がもっと自由に暴れることができるようになれば、日本映画はもっとよくなると思うのだけど。
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