櫻イミト

さまよえる絵の櫻イミトのレビュー・感想・評価

さまよえる絵(1920年製作の映画)
3.5
初期のフリッツ・ラング監督が後の公私パートナーとなるテア・フォン・ハルボウと初めて出会い共同脚本を手掛けた寓話的メロドラマ。「ドクトル・マブゼ」(1922)主演など後に常連役者となるルドルフ・クライン=ロッゲも脇役として初キャスト。原題「Das wandernde Bild(さまよえる像)」。別題「Madonna im Schnee(雪の中の聖母マリア)」。

汽車に乗る女性イルムガルド(ミア・マイ)は多額の相続権を縁者から狙われ追われている。山間の駅で降り、そこで出会った親切な青年ジョン(ルドルフ・クライン=ロッゲ)から道を聞いて山を目指す。ようやく山麓の山小屋に辿り着き、山越えの道をフード姿の隠遁者に訪ねると、なんと彼は死んだはずの夫ゲオルグだった。ゲオルグは、山にあるマリア像が歩きでもしない限りここで隠遁を続けると決めていた。実は二人の間には複雑な事情があり、彼女を追っているのはゲオルグの双子の弟だった。。。

ラング監督のファンとして非常に興味深く楽しんだ。初めてハルボウと組んだ本作は、ラング監督が後に連作する“神話的映画”の幕開けとなる一本と言える。

山の中腹にたたずむマリア像が本作のアイコンでありロマンの鍵となる。シナリオはありえない偶然の積み重ねで成り立っているが、ご都合主義なのではなく寓話的展開と捉えるべきである。そこで誤ると、クライマックスでゲオルグが見る“歩くマリア像”が幻想であることが理解できないだろう。この時イルムガルドは麓にいるので、映し出されるのはマリア像とイルムガルドが子を抱く姿を重ね合わせたゲオルグの幻想である。自由恋愛主義を貫こうとするあまりに、身籠った彼女との結婚を拒否したゲオルグの潜在的な罪悪感が、マリア像の消滅(雪崩による)をきっかけに溢れ出したのだ。同時シンクロして麓のイルムガルドが知人の子を抱いて歩いていたのは、人知の及ばない神秘がもたらした偶然である。

本作の幻想表現はここで突然用いられるのではなく、事前にイルムガルドの危険の予感として“骸骨と時計”の映像が幻想の布石として挿入されている。

山岳ロケの映像も印象的だった。ドイツ山岳映画の先駆者アーノルド・ファンクの「聖山」(1926 主演レニ・リーフェンシュタール)が5年後なので、“山と神秘”をモチーフとした本作はさらに先駆的だったと言える。

小品ではあるが、後のラング監督とハルボウのテーマ&ロマンが粗削りに内包された重要作。


※本作で意気投合したラング監督とハルボウは続いて共同脚本「インドの墓」(1921)を書き上げ、ラング自らの監督を希望するが、その壮大な構想に対してキャリア不足との映画会社の判断により叶わなかった。同作の監督を務めたのはラングを映画界に誘った10年先輩のヨーエ・マイである(本作のヒロイン、ミア・マイは彼の妻)。ラングとハルボウとの次なる共同脚本が同年の「死滅の谷」(1921)。同作によってラングは監督として一躍脚光を浴びることになる。
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