ゆ子

雪崩のゆ子のレビュー・感想・評価

雪崩(1937年製作の映画)
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「僕の結婚は失敗でした」

『なぜ五郎、そんなことを軽々しく言う。断っておくよ。お前は漢だ。自分の言ったことには、どんなことにも責任を持たなければならん』

「その責任なら、充分感じているんです。結局僕が悪かったんだと認めてます。でも、こうやっていて何れ破綻が来た場合はどうする。自分が努めて妥協していくのは、結局蕗子のためにもならないんじゃないか。そう考えると今の生温い不満の状態を続けているよりも、残酷なようでもここではっきりと自分の態度を決めたらと思うんです」

『この世間に住んでると、いろいろ不満なことが起こってくるものだ。それをいちいち、自分の満足できるような方法で解決できるものと思ったら、大変な間違いだ。誰にでも聞いてみるがいい。どんな人間の一生でも、不平と不満の連続だ。それに耐えるのが、人間の仕事なんだ。あの娘の、どこをお前は気にいらんのだね』

「どこって・・・」

『言えないはずは無かろう』

「そう簡単には言えないんです」

『それじゃあ、不敬じゃない。優しい良い子じゃないか。ママも、最初は反対だったが今では喜んでる。わしなどは非常に気に入っている』

「僕も蕗子は優しい善良な人間だと思っています。でも僕には、こういう状態を続けていくのが蕗子のためにも悪いと思ったんです」

『さあ、その理由がわからん』

「はっきり言ってもっと不幸な結果を見るくらいなら、今のうちに別れた方がいいと思うんです」

『蕗子を不幸にしてもか』

「可哀想だと思うんです。しかしそうするより他ありません。愛のないものをあるように見せかけるなんてことは僕にはできません。長い一生の問題です」

『同じことを、蕗子についても言えるだろう。しかもあれはお前を、無二の夫だと決めている。そう信じさせたのは、お前なんだよ。無責任過ぎやしないかねえ』

「責任の追い方は別にあると思います」

『自分勝手な方法でだろ。それは許されない。お前は、無人島に住んでいるのではない。人間が集まって作っている、社会に住んでいる。誰にも義務と言うものがある』

「じゃあお父さん、正しいと信じていることでもこの世では出来ないとおっしゃるんですか」

『正しいという観念そのものが、人間の社会生活が生んだものだろう』

「じゃあ人間の生活なんて牢屋へ入っても同じことです。僕はそんなことは嫌いだ」

『お黙り。お前になんの特権があって、そんな不遜な言い方ができる』

「生きてるからです」

『まだお前は考えが若い』

「若いということが攻撃される理由になりますか」

『なるとも』

「いいえ。僕は嫌だ!その方が正しいと信じていることがあるのに、それを誤魔化していくなんて卑怯だと思うんです。社会生活の責任は僕だって考えています。しかしそれがあきらかに嘘や誤魔化しの上に築かれているとわかっていても、提示しなければいけないとおっしゃるのですか。それこそ罪悪じゃありませんか。僕は自分の考えが足りなかったことや悪かったことは認めています。その失敗がもう取り返しのつかないものだとおっしゃるんですか」

『だが五郎、お前が日下五郎ではなく、普通のサラリーマンの生活だったらどうだ。そういう贅沢な空想が、どこから生まれてくる』

「僕はサラリーマンの生活も知っています。また、金のある人間が妾を持ったり悪い遊びをしたりして、もう愛なんて無くなってしまった夫婦がお互いに呪い合いながらも世間体は立派な家庭を作っている。そんな例をいくつも知っています。僕はただそういう嘘が嫌なんです。誤魔化した夫婦生活に耐えられないんです」

『人間の生活というものは、もっと微妙なもんじゃないかなぁ。さんじつの式のようには考えられまい。俺はあまり、自分本位すぎるお前の言い分を入れることはできんね』

「けれどお父さん!」

『生きてみることだ。その間にわかる』

「夫の義務と言うものだって、今はふらつかずには、卑怯にならずにはいられない時代じゃないですか。僕には生活の心配はない。だからと言って古い道徳にしばられていなければならない理由があるだろうか。お父さんとは時代が違うんだ。僕は何処までも自分が正しいと思った道を歩む」

『おまえは非常に頭の良い子だ。物を知っているだけでも驚くくらいだ。だが、ただ、整理の方法がついていないようだね。つまり、知識を整理する大切なものが欠けているんだ。鋭く聡明でいて、どんなことにも堂々とした理由をつける頭の働きはあるんだが、さてバラバラなんだね。これは重大な問題だよ。わしは五郎の持っている、がむしゃらな性質のことを考えているんだ。おまえは、わし達と時代の違う若い者の特徴、のように見えるんだが、どこか絶望的な、ヤケなところがあるんだねえ。目標があるように見えて、実は本人もその目標を信じてやしない。難しい問題だよ。吾郎、無慈悲なことは俺は許さんぞ。俺は人を不幸しにて平気でいられる人間を憎む。最下等の唾棄すべき存在だ。誰が嘘をついたとか、誰に責任があるとか、そんなことは問題ではないんだ。もっと大切なものがその上にある。おまえは、頭が良い。物を知っている。しかしその全部が、ぺらぺらの紙だ。紙っきれで、おまえの頭がいっぱいになっている。何か、自分の無法な行動を正しく見せかけようとすると、おまえはその紙のような知識を出してきて、理屈をつける。俺が “悪い” と見るのは、その真実だ。これは、正直に汚い行為をするよりも、遥かに人間として卑しいことである』

「僕はもっと誠実なつもりです。正しいと思ったことをやりたいと思っているんです。自分の心を偽りたくないと思うんです。そうです・・・お父さんのような大人のように、豪快に誤魔化してゆくのが嫌なんだ」

『それが紙のような知恵だ。お前たちの不幸は、いろんなことを、むやみに知ったことから来ているんだな。知っているというだけだ』

「お父さんは他人だ。僕ら若いもんには他人だ!」

『そう決めても良い。俺もそこまで考えた。お前が今の不道徳な行為を続けてゆくのなら、潔く別れるとしよう』
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