【ラッコの皮、クマの皮】
アマプラにて。『マッシブ・タレント』でホメていたのでw前作に続き、見てみた。
語りは滑らかで見やすく、CGの質も上がったようで、表現の解像度も上がっている。
でも前作で喋るクマを、移民に擬人化させたことに感心した私には、響きませんでした。
前作は、パディントンがブラウン家の家族となるまでの物語でしたが、次はウィンザー・ガーデン、そのコミュニティに受け入れられるか?という段階でしょう。
が、冒頭すでに、街の人々にも好かれ、すっかり溶け込んでいることが示されます。
そんな彼が、アンフェアな第三者によって冤罪に追い込まれますが、街の皆は、彼が犯人とは思っていなかったわけでしょう?
ここで“やっぱり移民は信用できない”と翻る人が多発すれば新たなテーマが立ったのでしょうが、そうは展開しない。
なら、街の皆で協力して濡れ衣をはらす物語にすれば、短く終わるいい話になったかと。
私は今回、一番変化すべきは街の人々で、実質の主人公と言ってよいかと思いました。カナリ異質な移民とどう、共存してゆくかの物語だろうから。
しかし、その主人公は活躍しないどころか、居るか居ないかよくわからない。付和雷同過ぎるモブは出てくるけれど。そして…プレゼントの渡し役で終わっちゃった。
プレゼント自体は、そのアイデアには泣けましたが。もっと“人”で盛り上げてくれたら…。
一方、パディントンの方も、一日面会が来ないだけで、ナゼ待てない?話を安直に進めるため、みたいな行動でそれこそ、家族の絆をそんな程度に思ってたんか?と気が抜ける。
パディントンのCGはよくできていましたが、それだけに、不気味の谷が深まった感じ。生き物っていうより、ヌルヌル緻密に動く毛皮みたいな。これだと、本人が喋っているとよくわかるので、ベン・ウィショーの声がベン・ウィショーの声として、生々しく伝わります。
あと、私はこの物語に、アクションスペクタクルはわざわざ要らないと思うのです。パディントンはトムクルではないしね。
最後のプレゼントでウルッと来たものの、私には、ニコケイが推すほどよくは思えませんでした。パディントンよりサリー・ホーキンスに、ほっこりしたものでしたが。
<2023.10.28記>