みてべいびー

アノマリサのみてべいびーのネタバレレビュー・内容・結末

アノマリサ(2015年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

“I’m so happy, Michael, I’ve waited for someone like you my whole life.”
Charlie Kaufmanの作品って、彼自身を投影してることが(身体的なまでに)痛いくらい見てとれるから響くんだと思う。すごい勇気のいることだし、誰もができることじゃない。だから彼が作るみたいな映画あんまりないんじゃないかなぁ。彼がBAFTAの講習会で書くことについて語っているスピーチを聞いたことがあるからかもしれないけど、この主人公Michael Stoneが重なってしまってしょうがなかった。
カスタマーサービスについて本を書き、その業界では名の知れた男がスピーチをするためシンシナティにやってくる。妻子を持ちながらも孤独な彼はかつて付き合っていた女性と会うも、突然彼女を捨てた理由を迫られてもうまく答えられず、結局孤独を埋めるためだけに彼女を呼び出したことを見破られてしまう。彼はフレゴリの錯覚を患っており、誰もが同じ声同じ顔に見えてしまう兆候があったが、同じホテルに泊まる自分のファンである女性リサだけは声も顔もありのまま見える。彼女に惹かれて一夜を過ごした彼は次の朝彼女との結婚を決意するが、次第に彼女の声も顔もまた皆と同じに見えてくる。
スピーチで「電話の先の顧客にも人生があり痛みがある」と語っているにも関わらず、彼本人には誰もが同じように見えるという皮肉。ここでは究極的に病気ってことになってるけど、病気じゃなくてもこうゆう考え方しちゃう時とかってあるんじゃないかなぁ。自分は特別で、周りは何の面白味もない凡庸な人間なんだろうなみたいな思い込み。みんな自分は特別だと信じたいし、時にそうゆう錯覚に陥る。彼は特にそうゆうチヤホヤされる立場にあるから尚更そう思い込みやすい。こうゆう感覚って、SNSとかでかわいいね、特別だねって言われて大人になっていくミレニアル世代の人は結構共感できるんじゃないかなぁと思う、後々。結局そうやって周りを卑下して見てしまう自分が一番悪いのはわかっていて自己嫌悪になったりね。決して自己評価が高くて自分を特別だと思ってるわけではなくて、こんな痛み自分にしかわからないから特別なんだ、みたいな自己憐憫に近い考え方なんだろうと思う。なんて60過ぎたKaufmanの書いた人物の気持ちがめっちゃわかってしまった23の私の行く末とは、、、と思うと恐ろしい笑。
セックスシーンが生々しいと話題だったみたいだけど、特に気持ち悪いとも思わなかった。なんならクレイアニメーションであそこまでリアルに再現できる力量と根性がすごい。途中で顔が変わったり、一部が剥がれたり、細部まで技術的なこだわりもすごくて感動した。日本の件はかなりいい加減な感じしたけど、まぁそこは置いておこう笑。主人公の声めっちゃ聞いたことあると思ってたらルーピン先生だったのもジワポイント。あぁCharlie Kaufmanと友達になりたい。
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