井出

リップヴァンウィンクルの花嫁の井出のネタバレレビュー・内容・結末

4.4

このレビューはネタバレを含みます

どこが本当の世界なのか。始めは彼女の周りに偽りが満ちていた。ネットで買った恋人、結婚、仮面夫婦の両親、教師。そして、偽りでも何でもでっち上げる俳優兼実業家。全ての愛やら現実が偽りに満ちていた。社会では誰もが何かを演じていた。
一方、彼女はSNSや、ネットでつながる教え子には正直でいられた。こう考えると、電車に乗れば大半の人が、スマホをいじって、本当の世界とつながり、苦しく、偽りだと信じたい現実の世界とようやく折り合いをつけて生きているのかもしれない。
そんな彼女に苦難が襲いかかる。離婚、失業…彼女は社会的に完全に死んだ。居場所がなく、演じるべき役割もなくなった。泣いて彷徨うしかなかった。空間的にも、精神的にも、彼女は迷子になった。
でもこの映画はこれで終わりではなかった。思いっきり寝て、食べて、彼女はすぐ働き始めた。これほど人間の生命力を表現してくれるものはあっただろうか。
そして問うた、では何が偽りなのかと。寄せ集めの家族役も、どこか家族のようだったし、偽りから始まった姉妹も、本当の姉妹になった。その「姉」は、どんなに苦しい仕事でも、それが自分なんだと、なんの虚飾もない「真白」なんだと、自信を持って言った。結局、真実は作り出すものだった、ということ。安室も、偽りを生業としているのではなく、ただ真実を作り出していたということであった。
そして最後真白さんは、世界は真実の愛に満ちていると言った。愛をそのまま受け取るのは辛いから、お金を経由していると。このメッセージは強烈だった。多くの人にとって、革命になりえる言葉だと思った。
主人公は死別、離婚、失業の先に、本当の幸福を手に入れたように見えた。

と考えると脚本は素晴らしいし、それを実現させ、また演出によって高められたcoccoたちの演技は素晴らしかった。
脚本に関して言えば、社会に対する目が鋭すぎる、容赦がなさすぎる。前半の、全て偽りだと言わんばかりの感じ。全て起こりうると思えるからこそ。泣いてもどうにもなんねえんだぞ、ある程度金稼ぐには汚ねえことしないとだめなんだぞ、男女って大体こうなんだぞ、とか。あとは忘れた。
基本的にカメラは動いて彼女を自然に近い形で捉えていた。ただ、中でも別れさせ屋が部屋に来た時にカメラが回転して、動揺を表現しているところは面白かった。草むらを自転車で行くところとかは美しかった。撮影も安定の上手さだった。
音楽は春らしい、華やかなクラシック音楽でそれが一層苦しさを強調したり、最後の悼むシーンはより、尊敬や追悼の念を効果的に高めていた。このシーンでは観客の誰もが、真白を悼んだのではないか。あと、2人の歌も透明感とかあって、岩井俊二ならではだなと思った。
人生は涙に転換点があるし、人との別れがどれほどの重大なのかが分かった。それはその相手のなかでできた、作り上げた自分と別れるという意味で自我にとって重大な意味をもつからだろう。本当の意味で、身が引き裂かれるわけだ。
とにかくこの映画は、真白の最後のメッセージを聞くだけで、見る価値のあるものだと思った。何度も見たいと思えるくらい気持ちよく終わった。岩井俊二なのに。
井出

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