ずどこんちょ

リップヴァンウィンクルの花嫁のずどこんちょのレビュー・感想・評価

3.7
3時間という作品ですが、最後まで飽きることなく楽しめました。心を揺さぶってきます。

インターネット上で知り合った恋人とあっさり結婚した七海。
彼女は非常勤講師として勤務している学校で生徒たちからの嫌がらせにあい、退職へと追い込まれます。両親は離婚していて、親戚付き合いや結婚式に呼ぶ友人などもいません。
そのため、彼女が利用したのがSNSで紹介された人材派遣を営む男性、安室。再びインターネットで知り合ったこの安室に、七海の人生は翻弄されていくのです。

リアルな世界での人付き合いはうまくいかず、インターネットで頼りにした人付き合いもうまくいかないという、どうにも窮屈に生きている七海の生き方に、前半はとにかく苦しい展開が続きます。
旦那が浮気をしていると思ったら逆に罠に嵌められて浮気を疑われ、義母から追い出される七海。自宅を失い、仕事を失い、行く場所もなく自分がどこにいるかも分からなくなって悲嘆するシーンは見ていて胸が苦しくなりました。

そんな寝食に困るほど追い詰められている七海に対して、なんのバイトなのかも詳しく知らせずに、
「100万円いらないですか?100万円。」
と淡々と追い詰める安室。非情です。
彼の仕事は人と人を繋ぐなどといったものではなく、ニーズのあるところに適当な人をあてがう仕事に過ぎないのです。

そもそもこうなったのは浮気の相談料をせしめといて、一方で「別れさせ屋」として裏からコソコソと一挙両得で働いていた彼のせいだというのに。見事七海は真実を知らないまま安室の思惑通りとなったのです。人が良すぎるというのも難ありです。安室の口八丁な売り込みなど怪しさ満点なのに、愛する旦那よりも安室の言葉を信じてしまうのですから人間は不思議です。

安室の人材派遣のバイトを受けるようになった七海は、ある一人の奔放な女性・真白と出会います。
お互い素性を隠して出会っているという性質上、真白のことは何も知らない七海なのですが、彼女の誰とでも親しくなれる明るい性格に七海は友人として惹かれていきます。
ところが、真白もまた誰にも言えない秘密を抱えていました。安室が七海に紹介してくれた屋敷のメイドというバイトも、そもそも真白のとある依頼によるものだったのです。

真白はアダルト女優を生業にしながら、彼女は給料として得たお金を奔放に使っていました。
七海はそんなお金の使い方を心配するのですが、真白は自分に向かってくるお店のサービスの優しさや気遣いに対する感謝の気持ちを抱えきれないと打ち明けます。それは自分なんかのために申し訳ないという気持ちが根底にあるからなのでしょう。
真白にとってお金は世界の優しさに対する対価なのです。
お金というものにどんな思いを乗せるかは人によって違うでしょうが、優しさや気遣いに対する対価であって、それを払わなければ世の中に溢れる幸福を抱えきれないという感覚は深く考えさせられました。

一方、お金に関して安室は手際が良いです。
例えば真白の実家に遺骨を持って帰った時も、実家の母親が墓の手配を進められないことを見越して、墓の手配を代行する分の書類を用意して遺産を差っ引きます。
身近の人間が亡くなったことに関して、遺族の気持ちは脇に置いてただ淡々と「処理」しているといった感じ。
乗っている車から察するに、それなりにこの仕事で荒稼ぎしているようです。なんせ真白の依頼には一千万円支払われています。
彼にとってお金はどんな意味を持つのだろうと感じさせられます。

そんな安室が終盤で感情を剥き出しにします。
最後まで娘と分かり合えることがないまま喧嘩別れしてしまった真白の母親。不満や冷たい言葉を吐きながらも、娘の恥ずかしさを体感する母の苦しみに触れた安室は、抑えていた感情が溢れ出るように号泣するのです。そして、彼女の苦しみと寄り添うように自らも恥ずかしさを体感します。

これで一層安室という人間が分からなくなりました。
ただ淡々と「処理」している男と思いきや、感情を剥き出しにする新しい側面も表します。安室も真白と同じように、人の気持ちがすごくよく分かるのでしょう。
人の気持ちが分かるから、人の弱みにつけ込むこともできるし、助けを求める人の気持ちに寄り添うこともできます。
口八丁なだけでなく、人たらしになれるのです。
人の心が分かり過ぎるという点では真白も安室も同じ。それをどう扱うかが決定的に違います。人の気持ちを理解できるということは、安室もまた似たような気持ちを味わったことのあるはずです。まったく作中で語られることはありませんが、安室の人生には重みを感じます。

一方で共感して泣いているにしては大袈裟過ぎるというのも実に上手い。
俳優もやっていると言っていたので、どこかに演技なのではないかという可能性が感じられるのです。
掴みどころの無い不気味な男。綾野剛がすごくハマっていました。

ところで、この物語は誰の物語なのでしょう。
物語の登場人物には何らかの変化がないと面白くありません。もちろん主人公は七海です。七海はSNSで結婚相手と出会い、別れ、そしていつしかまた一人で暮らし始めました。誰かと共に歩むことで自分を確立していた七海が、最終的に独り立ちしたとも捉えられます。
でもだからと言って、リアルな対人関係に大きな変化が現れたとも思えませんし、真白という大切な存在と出会って失って、また一人になったという単なる"経緯"に過ぎないように見えます。大きな変化は感じられない。
では、誰が変わったのか。本作において最も変わったのは、安室ではないかと感じます。

ラストで安室は七海の新居祝いに粗大ゴミの家具を分け与えていました。
以前の安室であれば、粗大ゴミであることを伏せて安く買い取らせていたかもしれません。ランバラルの知り合いなんでサービスしますよ、などとリップサービスを並べながら。ニーズのあるところに適当に人や物をあてがうのが彼の仕事だから。
しかし、終盤の安室はどれでも好きな物を引き取って良いですよと七海に声を掛けます。「粗大ゴミですよね?」と尋ねる七海に、「家具とも言えます。」と答えます。
価値のないものに価値を見出すようになったかのようです。
七海が握手を差し出した時、照れながらもその手を握り返す安室。
それはこれまで人との繋がりに何の価値も見出していなかった安室が、人に対して何かを尽くすということに僅かながら喜びを感じるようになったとも見えます。
真白の実家での一件か、真白の最期まで寄り添っていた七海との一件か、何らかのドラマが安室の考え方を少しだけ変えたような気がしました。