このレビューはネタバレを含みます
ビー・ガン監督最初の長編作品。
冒頭の金剛般若経の一節でさっそく混乱する。
前半は捉えどころがなく散文的。退屈なわけではないけれどはぐらかされているような気さえする。
主人公チェンはたぶんいい人なのだろうけど何か事情がありそう。折り合いの悪い弟の息子ウェイウェイを心配する様子がいい。
勤務先の診療所の老女医との会話や患者とのやりとり、取り立てておもしろみのない生活を淡々とこなす。
「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」と同じようにタルコフスキーの影響をかなり感じる。
それに加えて時計と野人が気になる。
後半は行方不明のウェイウェイを探す旅になるのだけど、ミャオ族の村を訪ねるために青年のバイクに乗るシーンから長回し。しかも40分以上あった。
老女医のかつての恋人は不在で、ウェイウェイを探しに向かった先で彼は出会うべき人たちに会うのだけど、それが未来なのか過去なのか、それともただの夢の中のできごとなのか判然としない。
川を挟んだ村と村は舟で渡るしかない。
でもそこで出会った少女ヤンヤンをカメラが追うと橋が現れてぐるっと一周できることを観ている者は知る。
チェンは亡き妻に会い散髪をしてもらい彼女のために下手くそな「リトル・ジャスミン」を歌う。
あぁ、これはアジアのマジックレアリズムなんだと思う。
山や川、深い緑や湿気を馴染み深く感じる。
挿入される詩篇やえもいわれぬ気怠さ、人々の愛想悪さを懐かしく感じてしまう。
チェンがバイクの青年に名前を聞いて「ウェイウェイ」と答えて一瞬全ての人が在るべき場所へ帰結する。
静かなカタルシスを感じた。
凱里へと帰る車窓に逆回転する時計が映る。
そういえば野人とはなんだったのだろう。