せいか

Vlad Tepes(原題)のせいかのレビュー・感想・評価

Vlad Tepes(原題)(1979年製作の映画)
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3/10、ルーマニアの映画文化の発信拠点として名高い『CINEPUB』がYouTubeチャンネルで配信していたものを視聴(参考:https://cinepub.ro/movie/vlad-tepes-1979-film-istoric-online/)。ちなみに『CINEPUB』はルーマニアのいろいろな映画を英語字幕を付けて無料公開してくださっていたりするので、ルーマニアの映画文化に興味があればぜひチェックしてくれよなと最初にオススメしておく。

本作はヴラド・ツェペシュを主人公とした歴史物で、結構な規模を誇って自国の英雄を描こうとしているものである。が、注意すべき点は1979年のルーマニアで作られたという点で、つまりは本作はヴラドを吸血鬼やらのマイナスイメージのある人物としてではなく英雄として位置づけなおそうとしていた(※もちろんここには自己の権力の正当化のためという理由もある)、時の権力者であるチャウチェスクの影響下の中で作られた作品なのである。この辺の細かいことは当時のルーマニア史を参照していただきたいが、ともかく、そんなわけで、作中はなんとなーーーくプロパガンダ色は消せていないところもある。

上記でも参考に挙げたURL内にもあるように、公開当時だけでも世界的には五本ものドラキュラ(=要はヴラドのマイナスイメージ)を扱った映画が作られていたというのも、本作が作られた背景にあることももちろん注意すべきかと思う。が、正直、この年の前年くらいにはあえてヴラドを悪い支配者というイメージで描いてチャウチェスクの政権に対してあてこすった舞台とかがなんならルーマニア国内であったくらいなので(『A Treia țeapă』(1978))、ヴラドの悪イメージを煽るのにチャウチェスクの熱狂が原因してたところあるのではないかとはちょっと思うけれど、この辺の因果関係はどうなってるのだろうなと頭の端で思いはした。起点自体は昔の周辺諸国のヴラドにまつわる伝説であり、それを拾ったブラム・ストーカーの『ドラキュラ』であり、その『ドラキュラ』を受容した人々のルーマニアへの興味にあるのだろうとは思うけれど、実際のチャウチェスク時代のこのごたごたの部分とかは割とお互いに噛みつき合って成り立ってるところあったんではないかと思った。余談である。

映画内容自体は、オスマントルコとガチャガチャやってるヴラドの第二次の統治期間にあたる時期がメインとなっている(多分最初のほうは第一次も含んでそうな気はする)。ドラマらしいドラマはほとんどおざなりにして何となくな戦闘シーンが多いので作中で描かれている展開に特に説得力みたいなのはないというか、多分、ある程度歴史を知っている前提で見る映像作品程度の内容。なんか知識として知ってるものに絵が付いて動いてる的な。そしてその薄さの中にプロパガンダ的言い回し(というふうに気にしなければただのなんかかっこつけたセリフ回しになるのだろう)が刷り込ませてあるようなもの。繰り返すように、悪イメージを払拭したいのが先立ち、実際のヴラドはこんなんだから!っていうのを描きたかったというのが大前提にあるとすれば、そういう意味では成功している映画にはなってるんだろうとは思う。ただ本当に中身らしい中身はろくにない。淡々と描くにしたってとにかく変に急ぎ足になってるばかりなので惜しいし、中途半端にガチャガチャしてるだけの戦闘シーン挟んでるのもあれだし、ヴラドの代名詞とも言えよう串刺しなどの対応についても至極ライトにしか描かず、そこに踏み込むわけでもない。彼を支配者として捉え直そうとはしているのだろうけれど、そこにもイマイチ踏み込まないというか、至極中途半端な踏み込み方しかしないので観ていて何とも思わない。
多分、本作は80年代後半のヴラド需要や当時のルーマニアなり世界の社会情勢ありきでそこにどっぷりしながら観たほうが楽しい作品なんだと思う。
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