春とヒコーキ土岡哲朗

何者の春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

何者(2016年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

痛くていい。

頭でっかちの痛々しさと、仕方なさ。主人公は、SNSや仲間内で偉そうに分析を語るが、企業面接では自分が優れた人間であることを伝えることはできず内定がもらえない。SNSと就活という二つの要素が上手くマッチした話。いくらでも時間をかけて自分のペースで周囲を分析していられる脳内(SNS)と、自分が他人に優れた存在として見られているのかが判定される就活。そこでズレがはっきりする、という話。

映画にすると、主人公の口数が周りより少ないのが目立つ。映画の主人公には珍しいタイプの、リアルな陰気さでしゃべらない人。そいつが、「就活はダウトと一緒」と偉そうに語ったり、ナレーション(ツイッターの投稿文)ではやたらしゃべるのが、最初から痛々しい。
そのズレをはっきり示す展開として、実は就活2年目の就職留年生だったというパンチもあり、テーマを描く肉付けも上手い。

自分は優秀だと思い込むために他者を批判したり、実行はできないくせに理論だけかっこいい言葉で並べ立てて悦に入ったり。その痛々しさが、二階堂ふみから感情的に追及されるシーンで全部明らかになる。
でも、そんな部分もあっちゃいけないものではないと思う。まずは頭でっかちになってでも自分の行動の方向性を考えないと、どう行動していいか分からない。それで失敗したら、頭の中と行動のズレを修正していく。主人公のダメなところを描いた映画でもあるが、学生を焦らせる就活の仕組みも環境として悪い。

自分の個性を愛して生かすべきはずなのに。
主人公は、大好きな演劇で自分の個性を出すことを楽しんで努力していた。なのに、就活では型にはまることを頑張って個性を失っていた。就活だって、自分の個性を出せたら内定は取れるのかもしれない。しかし、個性を持っている自分はエリートだという思い込みから、主人公は自分が「誰がみても社会一般的に優れている」と勘違いして、型にはまりに行ってしまったのだろう。

最後の面接で主人公は、他者の痛々しさを批判してばかりで自分は何も行動していなかったことを反省する。行動する以上、外野から痛々しく見える瞬間なんていくらでもある。自分は痛いと思われないために行動しない、ではなく、痛さを気にせずに自分を出す。