きまぐれ熊

パラドクスのきまぐれ熊のレビュー・感想・評価

パラドクス(2014年製作の映画)
3.9
タイトルとジャケットのウルトラ詐欺〜!
とはいえ
本編を見終わった後に、原題とメキシコ版ポスターを見るとどういう映画なのかはより明確に分かるけど、じゃあこれで見たくなるかって言われると、興味のフックが見当たらないのでめっちゃ厳しい。まず見させるって意味では改題はしょうがないよな〜って思っちゃう。

原題は「EL INCIENTE」。ある現象とかその現象。要は劇中のループ現象そのものがテーマだよ〜って事なので、邦題のようにループの謎解きを主眼に置いた作品じゃないんだよね。
ループものでありながら、構図や対比による示唆で考えさせるタイプのメッセージ性が強めなので、その土壌が薄く、ミステリーでないと興味を持たれづらい日本ではまあこうなっちゃうよね。

ジャンルとしてはソリッドシチュエーションな極限状態におけるループもの。特殊なのが、一定時間で物資が復活する事と、時間は経過している事。そして非常階段と郊外の道路という、繋がりの見えない2つのシチュエーションが並行に提示される事。画面の生理的嫌悪感とメッセージ性の強さ含めて、読み味はプラットフォームにかなり近い。

ロジック的な理屈付けがどこまで用意されているかはいまいち分からないけど、なんでループが起こっているか?よりもこの現象が何を表してるか?に主軸を置いて見た方が楽しい。哲学的って評価も見たけど、個人的にはアート寄りだと思う。

一定の環境から出られない物理的ループものっていう手垢のついたジャンルに、「ただし最低限の食べ物と物資は復活する」っていうルールを加える事で日常生活のメタファーとして置き換えたことが独自性であり面白いポイント。そう考えると、時間の経過をしつこく描いている点と、脱出が主眼じゃないのも理解できる。


以下、個人的な考察。ネタバレあり。


まあ多分格差社会の話だよねこれ。ただ社会構造の批判っていうよりもあるがままを批評してるって感じ。
最初は映画についてやキャラクターを取り扱った作品を消費する事への批評的なメタなシナリオなのかなとも思ったけど、1人の人間に現実の生と極限状態の生、同時に存在していて...って設定が噛み合わない。それなら、どちらかといえば精神世界の方がしっくりくる。
ただ、2つの生や、若者と老人という対比構造を踏まえると社会的な構造を模していると捉えた方がしっくりくる要素が多いかな。
欲に溺れて自堕落に生き利益を享受するだけの老人と、極限の環境に適応していく若者。でもいずれ、若者も貪るだけの老人にいつかなっていく。そして若者を老人に仕立て上げる役割はもっと上の誰かが用意している、という構造。

映画としてのメッセージとしては手帳がポイントになってくるのだろうけど、
あの世界で自分の名前を失わないって事が、人生においてはどういう事なのか?が鑑賞者に掘り下げて欲しいポイントなんでしょう。意味深に繰り返し映される花嫁は手帳を手にしていたので名前を書き留めたんだと思います。

手帳といえば螺旋の図が幾度も映されてたので、あの世界はループじゃなくて螺旋だって事だよね。似たような日常だけど、全く同じことの繰り返しではない。だから、欲望の消費も鍛錬の結果も、35年経てば結果として積み上がる。

あとポスクレのハムちゃん。檻からの脱出を示唆しているとも取れるし、(動物は出来るが)人は檻からは逃れられないとも取れて面白い。

設定面に関しては爆発音に必然性がなんも感じられなかったので、もしこういう細かな所を納得感のある演出で組まれてればかなりの傑作になったんじゃないかな〜。
きまぐれ熊

きまぐれ熊