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ある戦争のKKのレビュー・感想・評価

ある戦争(2015年製作の映画)
4.2
隠れた名作

トロッコ問題を思い出した。

分岐した線路の向こうに人が倒れている。一方には1人、もう一方には5人。
何もしなければトロッコは5人の方に行き5人が死ぬ。自分がトロッコの進路を帰れば、5人は助かるが1人は死ぬ。

「誰かを助けるために、誰かを犠牲にするのは許されるか。」

この問題には様々な派生についても考えられる。
「もし、1人が自分の家族、愛する人だったら?」
「もし5人のうち3人が犯罪者だったら?」

この映画も、答えのない問題に対しての問題提起。

仲間を救うために、民間人を犠牲にしていいのか。
クラウスも、あの興奮した戦闘状態で全てが分かっていた訳では無い。彼が知っていたのは、あのままの状態では、間違いなくラッセは死んでいたということ。
そして、ああ言わないと、本部は動かず、ラッセは助けられなかったということ。

あの状況では、攻撃地域に民間人、子供がいたかどうかはクラウスの頭の中にはなかった。裁判で、写真を見せられて初めて知った様子だった。

じゃあ、もしその時に、あの場所に民間人がいると知っていたら、攻撃指示は出すべきじゃなかったのか。
敵の近くに民間人がいたとしても、仲間を救うためなら殺人も許されるのか。
ここには、クラウスが隊長だったことも影響している。隊長として、隊員を守る責任は誰よりも強く持っていた。


民間人がいると知らなかったとしても、民間人を、子供を殺してしまったことは有罪であり、罪を償うべきなのか。
自分の意見としては、民間人がいることを知らなかったとしても、罪のない人を死なせてしまったことは、罪であり、自分自身のためにも償いたいと思う。

しかし、自分が罪を償おうと刑務所に入ることで、自分の子供に会えなくなり、子供の人生をダメにするとこまではいかなくとも、子供に辛い思いをさせることは、正しいのだろうか。死なせてしまった子供と同じように、自分の子供にも罪はない。

そんな葛藤と戦いながらも、本心を話し、 罪の意識はありながらも家族のために耐える。

ブッチャーが、クラウスを守るための嘘をついた。結果的に、その発言が決め手となってクラウスの無罪が決まったが、仲間に嘘をつかせてしまったという罪悪感もクラウスの表情から感じた。


戦争という特殊な条件下で、敵を殺すということが正当化される一方で、実際に手をかけた兵士の心には消えない傷が残る。クラウスの我が子を慈しむ顔からも見て取れる。
その傷は、無罪になったとしてもずっと残る。

でもそれは、正しい在り方だと思う。
法的に許されたからといって、罪のない人を死なせてしまったことは許されることではない。戦争だから仕方ないと、悩むことなく開き直って殺しつづける方が、よっぽど危険な考え方だと思う。


人の命に貴賎は無いし、人の命を奪うことをそう簡単に正当化してはならない。

色んなことを考えさせられる映画だった。


ラッセが命を取り留め、病院からビデオメッセージを送って来たとこは、かなり泣きそうになった。
一緒に死線をくぐり抜けてきた仲間だからこそ、生きてこそのジョークで笑える幸せを噛み締めた。
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