ニューランド

夜よりも深い闇のニューランドのレビュー・感想・評価

夜よりも深い闇(1946年製作の映画)
3.5
☑️『夜よりも深い闇』及び『パスポートのない女』▶️▶️
A·マン、R·フライシャー、J=H·ルイスの作品集というのは、デジタルで(多種から状態のいい)素材集めも、字幕入れも割りと簡単に出来るようになっての実現で、10年ちょい前には無理な企画だったろう。(商業)映画最盛期に遅れ後追いで見始め、日本のリバイバル作選択も含めた興行界を信じ、「誰よりも多く観たし、誰よりも映画を愛してる」と公言してる、デジタルの恩恵を今更とする人には、アメリカ映画とはワイラー·ワイルダー·ジンネマンらのA級に留まってる人も決して少なくない事は以前も述べた、私より若い人でも。2グループの3人を比べれば、映画が他の権威のおこぼれを拒む、自立した表現·性格を持ったもので在ることを自然体で証明してる、A級でもないはじめの3人の方が上だ、というは当時の興行のあり方を疑っていた者にも、何となく分かってはいたが、TV放映では本数自体少なく、それも大巾カット版で確証には今ひとつだった。
しかしまた、今日の内にと無理してみた最初のマン作品とルイス作品はある面対照的で、タッチや対象の際立った個性は消し、溶け合ったところから内的な矛盾を取り出すマンの磨き抜かれ·違和感のない統一的タッチに比べ、ルイスは、謂わば初期ルノワールの様に、対象は映画の形に必ずしも馴染んでないようで何かゴツゴツした放りっぱなしの無用心な懷ろを感じさせ、その違和感が全く作品の基本型すら超えたところの隙間から入りくるのと一致をみせる、思わぬ新たな真実と云うものを伝えてきて、それは暴力的ですらある。フレームへの人の現れ方、説明以上に強いカメラの筆致が、変な力を表し、構図·イメージ·美術はマン作品に劣らず完全なのに、内から生まれるマンに体し、ルイスの力は外から入ってくるものから生じそこへもまた向かい、世界を動かしてくる(移動や質感に於いて、自然と室内の差異をまるで無視·超越している、それは別個の次元の力だ)。本作もフランスのパリからの休暇の田舎が舞台となっていて、不自然英仏語チャンポンや、名刑事と云われる風情や格、カップルの組見合せとその捻れが染めてくもの、殺人事件唐突に連続、が作品の求められる流れと一致せず、カメラの前後や横の移動の場を越えた力業、組み合わさった枠付き大きな窓ごしの図、悩みかた·怒りかたの自分勝手めオーバーぶり、見るからに怪しい1人疎外の存在の外れから『サイコ』先取り·抑圧からの記憶ない多重人格の仕業と云うより·推理する主体の『アクロイド殺し』的奇怪さの合体の展開、らがミステリーを無力化する巨大な力となり、主人公が断末魔に見る多面窓のひとつに浮かび·また反対面には写りこんで見える嘗ての自分の年齢(差)を気にしていない至福の姿の雛型がよりこじんまりとも集約を見せる、みみっちい映画をこえた源イメージの表現となってる 。それにしても、何か妙·不穏から、たどたどしくも微笑ましさ、そしておぞましく痛ましい括りへ、ゆったりも強いカーブを切ってく腕力。
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アメリカより外の国を扱った並び、今日観た3本目『パスポート~』も、アメリカの外キューバ、ハバナがメインの場で、アメリカなるものへの帰還·志向の否定がテーマ·表現となっている。表現自体は、ロケの多さやストーリーテリングの追いで、(鮮やかではあるが、真に)強い筆致はうみにくく展開もスマートさを欠くも、終盤の河での逃亡と追跡の埃りが効率をはっきり無化してくように、アメリカへの密入国への、持てる家·自由·家族再会らの、合法では待ちきれぬ·渡りきた欧州民族の想いとそれを利用·犯罪も平気な組織が、入国管理の刑事がそれを摘発から·移民との生活の基盤をキューバに焦らず築くに置く流れへ、シフトしてくいつしかの太い方向となっている。
やはり、今観てもこの作家の世界は異色に荒々しく屹立し、発表時より未来の今の方での説得力を持つ。
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