塚本

スイス・アーミー・マンの塚本のレビュー・感想・評価

スイス・アーミー・マン(2016年製作の映画)
1.7
まずはこの作品のリアリティ・ラインを何処に置いているのか…本作のジャンルとしての立ち位置は?という問題があります。
それを明確にしとかんと“一線を越える”、意味・必然性が見出せずドラマとして完全にアウト…なんですね。


…例えば、ジョン・ランディスの「狼男アメリカン」で狼男に食い殺された人間は狼男が死ぬまで生ける屍としてこの世に縛りつけられるという“お約束”が提示されています。

…ゾンビものでも"一線を越える"ものがあります。
「ゾンビ・コップ」や「バタリアン」、山口雅也の傑作ミステリ小説「生ける屍の死」などなど。。。
ただこれらも、ロメロが「ナイト・オブ・リビングデット」で作ったゾンビ規格(お約束)の範囲の内にあるでしょう。

というわけで「スイス・アーミーマン」の“一線を越えちゃった問題”…どう捉えればよいか。

…冒頭、主人公が首を吊って自殺しようとしているところで、浜辺の波に洗われている死体を発見します。
その瞬間、ヒモが切れて自殺を思い留まるのですが…おそらくヒモは切れていなかったかと思われます。

この辺はロベール・アンリコの短編、「ふくろうの河」が元ネタになってるじゃないでしょうか。
…なので、そのあとの死体との冒険物語は主人公が死に際の刹那に見た幻想だと思うわけです。

テーマとしては、明らかにドストエフスキーの『分身』からその端を発するドッペルゲンガーモノのいちバリエーションですよね。「ファイト・クラブ」でのタイラー・ダーデンと同じく、死体は主人公の抑圧された自我の鏡像でしょう。

抑圧して閉じ込めていた感情をさらけ出し本来の自分になる成長物語といったところでしょうか。

ただ、本作、外界と接触するくだりから、話がグズグズなっちゃうんです。

…ラストは紐に首を吊ったまま、ちょいと腐りかけたポール・ダノ君と浜辺に打ち上げられた白骨死体のショットで…バッチリだと思うんですが、いかがなもんでしょうか。。。
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