曇天

スイス・アーミー・マンの曇天のレビュー・感想・評価

スイス・アーミー・マン(2016年製作の映画)
4.0
「孤独に死にたくない」冒頭のこの言葉が超重要でした。
好きな女の子に声もかけられず世の中に嫌気が差した男ハンクが無人島で自殺しようとしていたところ、一体のオナラをする死体を見つけて無人島を脱出する。十徳ナイフからとったアイデアで死体メニーを生きるための道具に使う、だけでは飽き足らず、孤独に死のうとしていた男の話し相手にもなり、めくるめく死体との友情を描く。

ところで、映画が好きな人なんてのはみんなコレに共感出来る人だと思っているんだけど? つまり「実生活で孤独な人間は死人も同然。孤独に死ぬくらいなら若くして自分から死を選んでやる。でも本当は死にたくない。世の中クソな奴だらけでどうせ友達にするなら死体がいい。ていうか死体が友達って超クール!」すごくわかりやすい舞台設定だったが、わかる人にしかわからない案件ではある。

死体が流暢に喋るというだけで一つのギャグだし一つの夢。彼は序盤から全編通してぺらぺらと人語を喋りまくり、会話の中で徐々に主人公に関することも明かされていく。これは形式としては、本当は会話は脳内の出来事で、これは主人公が自分自身と対話して内省するための表現で、最終的に自分を見つめ直して迷いが晴れる。という作劇ではよくある手法。

死体メニーは変人に見られることを嫌がり、ハンクの好きな女性を愛し、二人の夢を語り、ハンクの隠し事を嫌がる。死体はやはり主人公が押し殺している心の投影にも見える。が、それでも監督はメニーをあくまで「友達としての死体」にしようとした。

人前に出るとメニーは途端に喋らなくなるので、周囲の人間はハンクをイカレた奴だと見下げる。この展開によって「妄想じゃありません、実は本当に喋ってました~」というわかりやすいカタルシスが最後にやってはくるが、皆さんちゃんとわかっているとは思うけど、本当のカタルシスは「ハンクのオナラ」の方です。この映画の見どころが、無人島から男が生き残れるかどうかじゃなく死体との会話の方であるのと同様に。父親との涙の再会や好きだった人との縁が重要ではないのとも同様に。

人が恥ずかしいと思うものに価値を見出す、変人を友達にする。もっと言えば、変人である自分を認める。それがあのオナラに集約されてて、あのオナラはハンクが生きる恥の多い実人生の肯定なのだ(でも女性に話しかけも出来ずに死のうとした自分を内省もする、ちょっと面倒臭い映画ではある)。人によっては眉をひそめ、人によってはただ単純に笑い、人によっては情けなく涙する、多様な感情を誘ったオナラだったでしょう。汚らしいもう喋らない死体を奪って逃げたハンクを理解できない人の多い社会ですから。

もうダニエル・ラドクリフの死体役が可愛すぎてなぁ。死体のくせに顔芸に笑わせられる。
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