YAJ

パターソンのYAJのネタバレレビュー・内容・結末

パターソン(2016年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

【定型詩】

 多くを語るな。そう言われた気がする映画。

 なにげない日常って素晴らしい。1日1日が詩の一篇、いや、一行かな。
  一見、なんの変哲もない退屈な毎日のように見えるけど、きちんと韻を踏んだ7行(=7日間)の詩が出来あがる。

 ただそれだけのことが、なにより美しく、素敵なことなんだ。



(ネタバレ、少し含む)



 「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は、なにやらカッコいいらしいから観ておかないと、と大学生の頃に後追いで観たけど、まったく退屈だった。こういうスタイリッシュというだけで成り立つ作品もあるんだ、というくらいの理解レベルだったなあ。

 その作品と同じ監督のジム・ジャームッシュ作品。たぶん本作も20代のあの頃観てたら、「ふーん・・・」で終わった映画だったろうな。今や、これが「なんかいい」じゃなくて、しみじみと沁みてくるという、時の流れというか齢の積み重ねというか、その感慨が興味深いのだった。

 一般人の日々を追ったドキュメンタリーですら、もう少し日々の起伏がありそうなもの。それを映画作品なのに、淡々と見せるだけ。でも、ドラマッチックなんだよね。

 起承転結の、起・承くらいしか毎日のなかでは事態は進まない。詩を愛する主人公パターソンは、アーティストで美しい妻とフレンチブルドッグと暮らす自分と同名の街のバス運転手。
 日々、決まった時間に起きて、ルーティンの仕事をこなし、帰宅時に家の前の郵便ポストの傾きを直し、夕食後は愛犬の散歩のついでにBARに立ち寄る定型詩の毎日。
 でも、その毎日に、少しだけいつもと違うことは何かしら起きている。知人の痴話喧嘩だったり、犬泥棒の話題を街の不良に吹っ掛けられたり、日々グレードUPしていく妻のモノトーンのアート嗜好などなど。それを淡々と承(う)け入れる主人公パターソン。

 物語はそこまで。「起」と「承」まで。事態はまったく「転」んでいかない。けど、1週間で、きれいに「結」ばれて、また新しい日々がはじまっていく。 
 我々誰もが毎日、あるいは1週間ごとに、新しいノートをもらって「一日」という一行、あるいは「一週間」という一篇の詩を書きあげているんだ。

 素晴らしき哉、人生は! A-ha!
YAJ

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