針

パターソンの針のネタバレレビュー・内容・結末

パターソン(2016年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

バスの運転手をしながらノートに詩を書いている、パターソンという男の1週間の日常を描いた作品。
ジム・ジャームッシュの映画を観るのはこれが2作目。結論から言うとおもしろかった!……のですが、自分の楽しみ方が一般的だったのかどうか若干自信がない、という感じ……。うーん、自分が斜に構えすぎ&物語物語しすぎで見方がゆがんでる可能性はあるんだけど、一応感想を書いてみます。長すぎるのでご興味ある方はよければご覧ください……。


朝目覚めて仕事に行き、あいまの時間には詩を書いて、夜にはワンコの散歩に行って飲み屋で楽しく人と話し、翌日はまた朝目覚め……っていう日常のルーチンを淡々と繰り返しながら進んでいく映画なんだけど、これがまぁ魅せますねー。ちょっとだけ気になるぐらいの小さなエピソードがポツポツ連なっていく、その感じがかなり心地よい。自分は前半のトーンのまま、まったく何事もなく最後まで行ってもいいやと思ったぐらい。
……といっても本当に毎日の生活を機械的に映してるわけじゃなくて、曜日ごとに細かな変化をつけてますね。同じ行為でもショットの角度を変えたり、その日その日で描く部分と省略する部分を変えることで、日を追うごとにだんだんパターソンの日々の全体像が見えてくるところがあったり(きちんと覚えてないけど、バーのシーンで終わる日もあれば、帰宅してから妻と話すシーンで終わる日もあったはず)。
あとはパターソンが手すきの時間に書いている詩の朗読(独白)のシーンもいいアクセントになってるなーと。この詩の内容がちょっとよくて、現実的なディティールをゆっくり積み重ねていった先にちょっと詩的に飛翔するような、(こういって良ければ)素朴で親しみやすい作品ばかりで、自分はけっこう好きでした。彼が詩を読むシーンは基本的に2つ以上の映像が重ね合わされた形で流れていきますが、このたゆたうような時間感覚がすごく気持ちよかったです……。

ーーしかし、自分的にはこの映画は宣伝ポスターに書かれてるように「いつもと変わらない日々」をストレートに愛おしむ作品ではないんじゃないかなーと思いました。理由は単純で、アダム・ドライバー演じるパターソンの表情が明確に曇ってるシーンがあるから。
彼は一見おだやかな日常を繰り返してるように見えるんだけど、ゴルシフテ・ファラハニ演じるめっちゃ魅力的な奥さんが2~300ドルぐらいするギターがほしいと言い出してそれを断りきれなかったときにすごい真顔になってます。あとは彼女が裁縫や料理などで「今日はこんなことをやったよー」という報告をパターソンにしたあと、彼女がその場を離れたときも実質険しい顔になっちゃってて、それを見てるのは愛犬のブルドックだけ。動物だけが真実を知ってる、「犬は見ていた」みたいな状態。
ようするにパターソンは、天真爛漫な奥さんと2人で暮らす今の生活を幸せだとは思ってるんだけど、だからってすべてに満足しているわけじゃなくて、胸のうちには(当然のごとく)いろんなわだかまりがある。けど彼はちょっとイライラしても自分の本当の感情は抑えて結局激昂することはないので、日常のリズムが壊れるところまではいかない、というのがたぶんこの作品のストーリーなのかなーと思いました。ゆえに自分は途中からアダム・ドライバーの表情にずっと目が釘付けでした📌🔨
全体の雰囲気的に、彼が突然ぶち切れてテンションが変わるタイプの映画ではないだろうとは何となく思ってたのでその点は安心してたんだけど、淡々としたエピソードの積み重ねの中からだんだん彼の内なる憤懣が高まってく感じが、自分はけっこうハラハラでした。このへんの微妙な感情を出ずっぱりで表現し続けてるアダム・ドライバーは相当良いんじゃないかなーと思った次第。(余談ですが、彼ってやっぱりアクション系よりドラマ系のほうがしっくり来ません?)

ただ、これが唯一の物語解釈であるというよりは、シーンの拾い方と結びつけ方によって、人それぞれわりと自由に受け取れるタイプの映画なのかもなーと思う。
自分が上のような描写にばっかり着目してしまった理由はたぶん、(こんなん書いてもしょうがないですが)私自身が現在の自分の生活習慣にもろもろ不満を持ったりもしているので、パターソンの生活も100%満ち足りたものだとは信じられなかった、ってのが大きいかも……😇😇😇

おそらくパターソンは、詩を書くことを心の支えにしていて、それに一定の自負も持ってるけど、世間に発表して「自分を世に問う」ことにはためらいを感じてるんじゃないかなー。自尊心と自信のなさが、ないまぜになったような感じでしょうか。
それに対して妻のローラは、自分のやりたいことにガンガン挑戦していく天真爛漫な表現者タイプ。パターソンは彼女にベタ惚れで、今の生活にも幸せを感じてるんだけど(中盤で出てくる愛の詩!)、曜日が進むごとにどうやらローラには現在定職がなく、経済的な収入は全部パターソンに頼ってるのでは? という部分がしだいに分かってくるにつれて、映画に(というより観ている私の頭の中に🧠)灰色の雲が立ちこめてきた感じ。そうした目で見ると、ギター買ってとローラがねだるところや、冒頭に遡って双子がほしいと言うくだりにも、金銭的な問題がちらついて自分は複雑な気持ちになりました。
といっても別にローラが一方的に悪いっつうわけじゃなくて(理由や生活は人それぞれですし)、そうした現状の生活に対していろいろ思うことはありつつも淡々と日々を過ごしていくパターソンの心理のほうに、この映画は重点を置いてるのではないかと思う。
ざっくばらんに言っちゃうと、彼は自信のないやや面倒なディレッタントなので(笑)、「私は詩人よ」と簡単に言い切ってしまえる少女や、やりたいことにどんどん手を出すローラみたいに自分のほんとの気持ちに真っ直ぐになれないんじゃないかなー。最後までついに自分を「詩人」だとは言い切れないわけだし。
さらに言えば、スマホの所持に関してバーのおやじに「妻は自分を理解してくれてる」と言っておきながら、バスの事故に際しては「スマホ持ったら?」とあっさりローラに言われるあたり、彼は今の自分の生活も若干美化して見ることで、無理やり己れを納得させてるところもあるんじゃないかとちょっと邪推してしまいます……。
そうした暗い目線で見ていきますと、バーのカップルの愛の破綻とか、同僚の苦しげな家庭の愚痴とか、バスの中で学生が交わすアナーキズムの会話とかも、そうした主筋に注がれる剣呑なスパイスになりうる……かもしれないけどこれは自分のこじつけかな~。

終盤でワンコちゃんがパターソンの大事にしていた詩のノートをばらばらにしちゃう件りは、超ショッキングであると同時にいろいろ可笑しいところでもありますよね。そもそもこのエピソード自体に現実感がなさすぎて何かヘンだし、ノートが完膚なきまでに粉々にされてて犬の仕業とは思えない(笑)ーーただ逆に言うと、この作中でパターソンから詩を取り上げても何とか彼が矛先を納めざるをえない唯一の存在がこの愛犬ちゃん、ってことでもある気がする。もしも妻とか同僚が詩のノートを破ったらパターソンは我慢できないはずだし。
なにはともあれ、この壮絶なカタストロフィ(!)によってさすがのパターソンも笑顔を保てなくなり、ブスッとしたまま散歩に行った先のベンチで日本人と会います。若干ナイーブながらも、ゆるやかで優しいここからの終わり方が自分は好きでした! はっきりとは分からないけど、詩を愛好する謎の日本人との出会いによってパターソンは、詩作や、バスの運転や、妻との生活などをすべてひっくるめた、この町で暮らす自分というものにもう一度ゆるやかに立ち戻る、みたいな終わり方なんじゃないかと。そしてまた一週間が始まるという。

☆この映画の「詩」の取り扱いについて。
以下は個人的な考え。同じ文学でも、「詩」というものが小説とか戯曲と違うところは、いくら書いてもそれで生計が成り立つことはない、つまりお金を稼げないので職業にはならないってことではないかと思います(仕事として成立するのは、詩を書くかたわら別の文章も書く文筆家になるとか、音楽に乗せて詩を発するシンガーソングライターになるかぐらいではないかと。一応最終手段としては「夭折する」=生活しないって手もあるけどこれは例外)。
ようは詩人には必然的にそれ以外の生活手段がつねに存在するわけで、それはパターソンもそうだし、医者だったこの町の先輩詩人もそうなんだろうと思う。だからこの映画は、詩を書くという表現行為を題材にしつつも、その結果として自己実現を果たして何者かになる、みたいな流れにはならない。バスの運転手という仕事や、奥さんとの家庭生活と、詩を書くという行為はゆるやかに溶け合ったままひとつの暮らしの中に分離せずに存在するんだと思う。
自分は個人的に、表現者とか創作者を主人公にしたフィクションには好きなタイプと超苦手なタイプがあります。後者はつまり、表現行為のすばらしさとか超越性を他ならぬ表現物の中でストレートかつ高らかに謳いあげてしまうタイプの作品なのですが(勝手な好みですみません)、その点この映画は若干ナイーブではあるけど、彼が詩人であることに設定上の説得力があるし、それを表現する手つきも心地よくていい詩人映画だなーと思いました。上ではさんざん剣呑な面ばかり書きましたが、結局最終的には今ここにある日々を大切に生きるっていうところに着地してるんだと自分も思います。

○その他
・いたるところに現れる「双子」の謎は自分にはうまく掴めませんでした。ふつうに考えると満ち足りた生活を代表するものに思えるけど、暗い考えでいけば「幸せ」という強迫観念の象徴?(でもさすがにそうではないような……)。
・主人公の名前が彼が暮らす町と同じパターソンなのは、彼を構成するいろんな要素が全部ひっくるめて彼自身の暮らしなんだ、みたいなことなのかなーと。あとは彼もこの町で連綿と続く「生活」を受け継いでるし、詩とか芸術の伝統みたいなものも受け継いでるってことなのかな。
・ラストに登場する日本人、薬指と小指を縛っていてちょっと痛そうだったけど、あれは何なのでしょう? 自分は一瞬、小指を切り落とす可能性のある職業=ジャパニーズ・ヤクザかと思ったんだけど、さすがにそりゃねえか……。でも詩を愛したり英語を話したりするヤクザも全然いそうですが。
・2023年公開のヴィム・ヴェンダース監督作品『PERFECT DAYS』はちょっとこの映画と感触が似てたなーと思いました。でもこれはヴェンダースが『パターソン』を真似したというよりは、ジャームッシュが元々ヴェンダースが好きってことなんじゃないかという気がする。分かんないけど。
・暗い側面ばかり見てしまったもうひとつの理由。序盤でパターソンがバスの操車場に向かうシーンで、茶色のレンガの壁をバックに歩いていくショットからスコセッシの『タクシードライバー』を思い出してしまったことです……。目配せじゃなくて単なる偶然かもしれませんが。でも昼と夜とで時間は違えど、仕事用の車で街を流していく主人公を窓外の景色といっしょに映していくところとか、けっこう似た感触の部分は多い気がする。銃を抜く代わりにペンを握りしめる男という感じ?
それに、もしこれが凄惨なサイコスリラー映画だったら、後半でアダム・ドライバーの怒りが爆発、妻と愛犬を射殺して家を飛び出し、火を放ったバスに乗り込んでどっかの音楽家の名前を冠した公園に特攻をしかける、みたいなラストもありえたはず!(ありえない)

お金があったらBlu-ray欲しいかもと思ったりしました。細かい部分を全然見切れてない気がするので。間を置いてから観返したら、100%満ち足りた物語に見えたりして。

(Melkoさん、おすすめありがとうございました。面白いし楽しい映画でした。見方が合ってるのかは分かりませんが☆)
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