河

オルメイヤーの阿房宮の河のレビュー・感想・評価

オルメイヤーの阿房宮(2011年製作の映画)
4.0
見つからない金鉱を探し衰弱死する船長、その船長によっておそらく騙されるような形で、金銭を目的に愛していない現地の女性と結婚することになり定住しているオルメイヤー、二人は白人であるというアイデンティティ、白人が優れているという考えを曲げないまま現地に住み着こうとする。その2人は、現地の人々から疎外され、川に浮かぶ貧弱な船のように根を下ろすことはできない。入植による白人社会はその土地では成り立たない。それを象徴するように船長は水に浮かんだベッドの上で死ぬ。

現地の人々は外部の人々に対して排他的であり、その男と現地に生まれ育った妻との間に生まれたニナは、現地で生まれ育ったため白人社会に同化することもできず、混血であるという理由で現地の人との結婚を拒否される。二重で排除される存在となっている。外部から来たデインも同様に現地から疎外され、追われる身である。

入植によって全てを失い、さらに金銭も愛すらも得られなかった男にとって、生きる目的は子供であるニナのみである。しかし、男は現地で何も得ておらず、持っているものは白人社会にいた時に持っていたもののみである。そのため、白人となれないニナに与えられるものは何もない。白人社会に戻ることもできない。そのため、男にはニナを置いたまま2人で破滅するか送り出すかの二つの選択肢しか持たない。そして、妻に残された選択肢もまた、ニナをその土地の外へと出すことのみである。

ニナとデインを送り出した男はその土地を冷たい太陽の差す暗い海として見る。そして、ニナが幼く自分の元にいた頃、金鉱を見つけること、白人としてその土地に王国を築くこと、元々実現するはずのなかった希望を持っていた頃の記憶へと逃避していく。

生い茂った草木が牢獄のように映ることで逃げれなさを、揺れるカメラがその根付くことのできなさを、画面から溢れる蒸し暑さが白人2人との決定的な相いれなさを表しているような感覚がある。

妻やニナの視点からは加害的な白人男性が朽ち果てていく話である一方で、外部の人間である登場人物達には行き先は残されておらず、冷たい太陽の差す暗い海のような世界で疎外され破滅していくことしかできない。

冷たい太陽の差す暗い海の映される冒頭は『囚われの女』の冒頭とかなり近いものになっている。そして『囚われの女』でも侵略的な白人男性によってその彼女は海に飲み込まれていく。この監督にとってそう世界が見えていたんじゃないかと思う。そして、この監督の映画は主人公が男であろうと女であろうと、毎回絶望と無気力の合わさったような主人公をただただ映す超長回しのショットで終わっている。二日間かけてこの監督の映画5本見たその最後がこの映画だった。
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