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ノー・ホーム・ムーヴィーのKOUSAKAのレビュー・感想・評価

ノー・ホーム・ムーヴィー(2015年製作の映画)
4.0
東京日仏学院エスパス・イマージュで開催された特集上映「シャンタル・アケルマンをめぐって」にて鑑賞。

女性監督が自分の母親の姿をカメラに収めるドキュメンタリー作品というのは、日本国内でも時折見かけますが、やっぱりシャンタル・アケルマン監督が撮ると凄いものになるんだというのが率直な感想でした。

冒頭、強風を浴び続けて折れそうになりながら激しく揺れ続ける木々の姿を、長い時間ひたすらワンショットで映し続けるオープニングが強烈。おそらくこれは、ユダヤ系ポーランド人として厳しい人生を強く生き抜いてきた母ナタリアの姿を重ねているように感じました。

ナタリアの姿は、明らかに『ジャンヌ・ディエルマン』と重なりますし、深い愛情で繋がっているように見えて、決して理解し合えない「断絶」のようなものを感じる母娘の関係性は、1978年の『アンナの出会い』で、主人公のアンナが最愛のお母さんに自身の性自認について吐露しても、理解してもらえなかったあのシーンと重なりました。

娘に対する深い愛情とは裏腹に、戦争時のトラウマのせいなのか常にどこか不安な気持ちを持ち続けている母ナタリアの言動を見ていると、1976年の『家からの手紙』の中で、娘のアケルマンに何通分も読み上げられた手紙の、時に愚痴っぽく、時に後ろ向きな内容にもすごく合点がいきました。まあ本人が書いてるんだから、それは当たり前なんですが。

どう見てもホーム・ムーヴィーなのに、タイトルを『ノー・ホーム・ムーヴィー』にせざるを得なかったということは、最後の最後まで母親(家族)に帰属意識を持ち得なかったということなのでしょうか。

そんなアケルマンの複雑な心情を考えると胸が痛すぎますし、母ナタリアの後を追うように、このあと彼女も亡くなって今作が遺作となってしまったという事実はなかなか受け止めきれませんが、それでも彼女の一連の傑作群に明らかに影響を及ぼした母ナタリアの姿が捉えられている今作こそが、彼女のキャリアの総決算となる最終作にふさわしいとも言えます。

いずれにしても、シャンタル・アケルマン監督の沼に少しでもハマってしまった人にとっては、絶対に避けては通れない作品であることは間違いありません。必見です。
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