くまちゃん

リトル・マーメイドのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

リトル・マーメイド(2023年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

「人魚は涙を流せない。だから、よけいに辛かった」
冒頭に提示されるこの題辞は「人魚姫」の作者ハンス・クリスチャン・アンデルセンの言葉である。悲哀の結晶たる涙を持たない人魚はその悲しみを放出することなく、内側に秘めていくしかないのである。永遠に。

映像技術の発展は目まぐるしく既存の作品をセルフリメイクのような形で実写化させているディズニー。それ自体は時代の進行とともに自然な流れなのかもしれない。
だが今作に限りそのアプローチは的確だったのかどうか懐疑的にならざるを得ない。アニメ版では可愛らしくデフォルメされたキャラクターが童話的ニュアンスを強調していたのに対し、今回は実写化することで展開や演出に残る人間的なリアリズムが減少し、設定に残る生々しさがより顕著に浮かび上がっている。
今作はアンデルセンが1837年に発表した「人魚姫」をベースとしている。
人魚姫の下半身が魚なのは少女、つまり処女を示し、脚を手に入れた際の激痛と歩行困難は処女喪失のメタファーであるとする説がある。つまり実写化によりファミリー向けでありながらもある種の「性」を想起させている。

エリックは国の発展のためという名目で
船旅に出る。その船はやがて嵐に遭遇する。エリック王子に仕える重臣グリムスビーは他の船員とともにボートで脱出する。荒れ狂う高波の中で一人船内に取り残されたエリックは海に投げ出された。
取り残された??
船員達が逃げ惑う中、エリックは何をしていたのか?せめてグリムスビーはエリックの安全を第一に考えるべきだったろう。グリムスビーはエリックを逃したい、エリックは逃げ遅れた人を優先させたい、そんな二人の問答の末エリックが船に残されてしまったというのならまだわかるが、作中でそのような描写はなく、グリムスビーは先に逃げなぜかエリックが最後まで沈みゆく甲板に取り残されてしまっている。この事によりグリムスビーのエリックに対する真意が分かりづらくなっている。グリムスビーはエリックの恋を後押しする理解者として描かれているが、それが純粋な思いなのか、エリックへの負の感情が隠されているのか邪推してしまう。

主人公アリエルにはハリー・ベイリーが抜擢された。本来白人で描かれたキャラクターに黒人女優がキャスティングされたことで多様性やポリティカル・コレクトネスに迎合し過ぎているという意見が散見された。しかしロブ・マーシャル監督はその部分について否定している。人種にとらわれず最もアリエルに相応しい女性を選んだだけであると。
つまりアリエルの人種はそれほど重要ではない。ロブ・マーシャルの中にあるアリエル像にハリー・ベイリーが最も近かっただけなのだ。
アリエルを含む7人の姉妹は7つの海に散らばりコーラルムーンの時のみ一同に介する。そこには欧米系やアジア系など様々な人種が入り交じる。このロブ・マーシャルによるグローバルな雰囲気作りは功を奏し、アリエルが黒人であることの違和感を払拭するのに大いに役立っている。またラストアリエルとエリックを見送る数多の人魚達はさらなる人種的多様性をみせ圧巻。

エリックはアリエルと出会うと趣味に関するマシンガントークを繰り出す。
アリエルは話せないため致し方ない面もあるが、一方的に自分の話をする男性は一般的には女性から敬遠されやすい。つまりエリックは王族のレッテルを剥がせばおそらく非モテ系だろう。人魚姫は失恋を繰り返したアンデルセンの投影だと言われている。原作ではその恋は実らなかった。
アンデルセンが失恋をした原因は作家という将来性の無さや家柄の差、年齢差が主であるが、加えてその特異な性格上の問題があったと考えられる。意中の相手に自伝を書いて差し出したのだ。もらった方は困惑するだろう。終始自分を中心に語り、周囲を振り回す、エリックのキャラクター性はアンデルセンに非常に近いと言えるかもしれない。

カニとトリがうざい(いい意味で)

メリッサ・マッカーシー演じるアースラの再現度の高さは称賛に値する。
悪意に満ちた豊満な肉体と毒々しいタコの触手、男を惑わす美声、ただのヴィランではなくこれほどの色気を与えることができたのはメリッサの表現力があってこそだろう。

トリトンを演じたハビエル・バルデムはもはやただのハビエル・バルデムでしかなかった。キャラクターに最大限の威厳を持たせ、王と父という異なる側面を全力で演じていたが、どうしても顔がニコラス・ケイジに見えてしまう。声が大塚明夫なのも無関係ではないだろう。

アリエルとエリックの門出に顔を出すトリトンは感動的なはずなのにおもしろ映像と化す。振り向いたら水辺からおじさんが覗き込んでたら大抵は怖い。

ミュージカル映画として歌唱場面で心情を表現するのは理解できるが、それ以外の状況説明台詞や自分語りはディズニーといえども看過はできない。
特にアースラの「ああしてやろう」「こうしてやろう」がノイズだった。

今作は映画として未熟な部分は多いが超一流の歌唱力を備えたキャスト陣によりエンターテイメントとしての格があがったように感じる。
また、人間の歴史は差別と偏見と迫害の歴史でもある。人魚という奇異な存在は実在していれば人間と共存できていただろうか。今作の冒頭で描かれたように、恐怖心から攻撃されていたかもしれない。他者への無理解、無知という罪が差別なる悲劇を生み出す。その象徴として黒人がアリエルを演じるのは人類史において深く意味のあることに思えてならない。
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