ふじたけ

ブラック・スワンのふじたけのネタバレレビュー・内容・結末

ブラック・スワン(2010年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

大傑作。狂っている、怖いとか色々と言われているが全く鬱映画ではない。明るい正常すぎる世界で暮らしていた一人の人間が、影との壮絶な戦いの末に影-自分-を殺し、それを取り込んだ本来の自己として復活をし、自分の全てを一度きりの舞台へ投げ打つ感動作
だが、彼女の場合は影があまりにも巨大になり過ぎてしまい、自我が飲み込まれてしまった。
過保護な母親一人に育てられた娘は、バレエ以外をほとんど知らず、自分の中にある悪魔的なものに全く向き合わず、自分の影と全く対峙してこなかった。彼女が住んでいた明るい正常な世界には、醜い性の快楽も嫉妬も狂気もない。また、父親の不在と女性が圧倒的に多いバレエ社会のせいで、彼女からは男性性が抜け落ちてしまった。その結果、彼女は汚れひとつない純粋無垢な白鳥となったのだ。
しかし、姿は真っ白でも、その中ではどす黒い禍々しいものがうごめていた。摂食障害、背中を引っ掻いてしまうなどなどがこれを示している。摂食障害は本当は吐き出してしまいたい抑圧されたもの、肩甲骨のあたりを引っ掻くのは皮膚を剥がし、そこからどす黒い翼を生やして、邪悪な黒鳥となり影を解放したい彼女の願望を表しているのだろう。
だが、性の快楽に興じ、色々と自由奔放なバレリーナの存在(彼女が抑圧してきた影)とブラックスワンを演じる二つの要素によって、彼女はようやく自分の影と向き合うことになる。だが、もうすでに遅かった。彼女の自我は影にほぼ乗っ取られ、現実と内面の境界が限りなく薄まった。現実と内面の合一を表現するために、おそらく監督は彼女の顔を常にアップで撮っていたのだろう。そうすることで世界は彼女を中心に回り、彼女のものとなる。
影の侵食により、だんだんと狂って行くのだが、私はそれを見て「いいことだ頑張れ!あともう少しで影は統合されるぞ」と拳を握りしめて応援していた。しかし、ずっと抑圧されてきた影は巨大すぎた。
影に侵食されすぎるあまり防衛本能が働き、影との調和どころか、影を刺し殺してしまうのである。しかも現実と内面が限りなく近いづいていたために、自分の中で殺すのではなく、現実世界では自分をガラスで刺してしまう。
殺しという大きな罪を犯し恐れおののく彼女の姿にはもはや最初の面影など見られない。ついに白鳥から黒鳥となり舞台を羽ばたく。
だが、自分が殺したと思い込んでいたバレリーナが生きていることを知り、ついさっき殺した影は自分の中で生きていること、そして自分の踊りも褒めてくれたりお酒とかクラブの楽しさを教えてくれたあいつは悪いやつじゃないということに気づく。自分の世界に閉じこもっていては自己は遠ざかるばかりで、他人を知ることが自分を知ることなのである。その瞬間彼女の中で影が復活し、それが取り込まれ、本来の自己が実現されたのである。そして彼女はガラスが刺さり出血しているにも関わらず、ついに辿り着いた自分を解放するために、黒さを孕んだ白鳥となり舞台へと敢然と翔んで行く。
まあという感じのハッピーエンドな(?)悲劇なわけですが、「ファイトクラブ」とか「ペルソナ」とかいった映画ですでにやられていることではあるわけでそこまで新しいわけではない。けれど、それでも過酷な影との戦いは見ていて面白い
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