Kamiyo

青春残酷物語のKamiyoのレビュー・感想・評価

青春残酷物語(1960年製作の映画)
3.3
1960年”青春残酷物語 監督.脚本 大島渚

食わず(観ず)嫌いの監督のひとりです。
好みじゃないとずっと避けてきました。
大島渚といえば野坂昭如とのマイクで殴り合いが
有名であのイメージ。

公開当時、高く評価されたし、話題にもなった作品
だが21世紀となった今では秀作とは言えない作品の
気がしてならない。
僕自身は1950.60年代の日本映画が大好きです。
それらの映画は今観ても、何度観ても
古さや違和感は全く感じません。

松竹ヌーヴェルヴァーグのきっかけとなった作品らしい。
松竹のオープニングロゴから予想される雰囲気とはおよそ違った尖った表現と、現代感覚に溢れる映像の連続に不思議な感覚にさせられるとはいえ、
すでに半世紀も前の世相や風俗はさすがに今見返すと今は昔の感が強くなってしまう。
特に女性たちは未だ男性に左右される存在であるという古臭さなど。しかしこれがこの時代なのだろう。

ちょっとアバンチュールを楽しもうとした女子大生真琴(桑野みゆき)が、危ういところで学生清(川津祐介)に助けられる。しかし清も不良学生で真琴を犯すが、いつか深い関係となる。
真琴の姉由紀(久我美子)はそんな妹を責めるが、由紀にも暗い過去があった。
清は真琴に美人局をやらせ金を得、同棲を始める。そして妊娠したことを知ると堕胎を勧める。堕胎医は姉のかつての恋人で、かつては理想に燃えて学生運動もしていた男(渡辺文雄)だった。
純愛を貫いて別れた姉と堕胎医は愛を貫けなかった。一方遊びから本気になった真琴と清は最後に愛に目覚めるが、哀れな最期を迎える。

単なる恋愛映画では無く、戦後から安保闘争の時代をバックに世の中のひずみを描いている。しかしどちらのカップルも世の中のせいにして、主体性が無い。
清は家庭教師してるらしいが、情けないぐらい頭が悪くみえる。親は出てこないが、誰の金で大学に行ってるのだろう?。。。簡単に暴力を振るうのも不愉快。

今となっては、川津祐介と桑野みゆきが何に苛立って
こんな美人局をしているのか、ほとんど理解できない。
二人とも学生なのに何してんだか、という感じ。

桑野みゆき演じる真琴が、パツパツでチャーミングなんだけど若い子らしく無鉄砲で、見ていてハラハラします
桑野はそれまでの良家のお嬢さん的な清純派から
イメージを刷新。

映画が公開された1960年6月、その月に安保闘争にて
樺美智子さんは死に、安保条約は延長成立する。
社会の空気はこの映画に漂ってはいるが、しかし、
それがチンピラ行為の言い訳にはならんだろう。

当時28才を生きていた大島渚と、その世代でなければ、その焦燥感と怒りは判らないのかもしれないが。
今は、なぜかギラギラには見えなかった。
なんなのだろう、やはり時代が変わったという事なのか。
僕が年をくったからか。

現在は、北朝鮮のミサイルは飛び
安保反対を叫ぶ者はいない。
世の中の人間は、議論することもなくスマホとパソコンにしがみついているように見える。
1960年の青春は生々しく描かれていたが、しかし63年後今は普遍性は感じることは出来なかった。

その時代のなかで流れを変えた重要な映画とのことで、
やっぱりリアルタイムでなければ本当の良さは解らないのでしょう。
1960年という時代背景もあるし、懐かしむというたぐいの作品でもないし、実験的価値が作品そのものより評価されているようです。

名作には、時代を超えて秀作で在り続ける不朽の名作もあれば、その時代だからこそ受け入れられる名作とがあると思うが、この作品は、不朽の名作ではないのではないだろうか、今となっては物語の構成は陳腐だ 
なぜ、これが当時は評価されたのだろうか?

映画全盛期だった作品を良いという傾向が今でもあるが、つまらなくなった日本映画と言われている
今の方が、もっと素晴らしい作品はたくさんある。
Kamiyo

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