一休

マンガをはみだした男 赤塚不二夫の一休のレビュー・感想・評価

5.0
小学2年生のオイラは、『ワイルド7』を立ち読みしようとした少年キングで『まんが道』を見て、藤子不二雄が2人で1つの名前を使って色んな種類のマンガを作り出している事を知り、強烈なインパクトとパッションを受けた。
しかも、その頃の子供たちに大きな影響を与えていたマンガを描いていたマンガ家たちが、みんな、トキワ荘という、一つのアパートで仲間として、ライバルとして、兄として、弟として、自分の道を貫き通そうともがいていたという事を知り、「オイラにも、こういう仲間が欲しい。」と思ったものだ。
その『まんが道』の中で、ただの「色白の優男で、やっと石森章太郎の手伝いをしていた。」程度にしか描かれていなかったのが、赤塚不二夫だった。
しかし、その頃、すでに赤塚不二夫は、『おそ松くん』や『ひみつのアッコちゃん』、『もーれつア太郎』、『天才バカボン』とメガヒットを連発する売れっ子マンガ家であった。

その後、誰でも知っているマンガを描いたマンガ家は、どのマンガ家より自身を露出し、そしてマンガを描かなくなり、いつの間にか消え、そして「かつてメガヒット連発のギャグマンガ家である赤塚不二夫という人がいて・・・」という話しかされなくなってしまった。
しかし彼の元からは、『ダメおやじ』、『寄席芸人伝』の古谷三敏、『釣りバカ日誌』の北見けんいち等を輩出し、何よりタモリも見出している。
とにかく、面白いモノを見つけて、それに命を与える事が大好きで、面白くしてしまう天才だったのだろうが、自分が面白いモノになろうとしてなれなかったというのがオイラの赤塚不二夫評だ。
しかし、極く近い人たちからすると、彼の面白さは超真面目であるが故に発揮されたもので、その超真面目さが赤塚不二夫という才能を押しつぶしてしまったという面があるという風に語っているのが、この映画というか記録作品だ。
その真面目さは、かの昭和の戦争で満州に生まれ、日本の敗戦と共に長距離を歩いて逃げ、命からがら日本に帰っても、妹が死に、極貧の中で家族バラバラになって育ち、自分の見て触って感じたものだけで生きて来た男の得た何かだったのであろう。
トキワ荘という、その後の時代の寵児が集まった中で見たものは何だったのだろうか。

作中、「トップに昇りつめた者の孤独」という言葉があったが、トキワ荘の面々は、それぞれが自分のエリアを作って、そこのトップに昇りつめた人たちだったので、自らの孤独を相手の孤独と比較したり、アドバイスしたりすることも出来なかったのだろうと、勝手に想像するしかない。
2016年、下北沢の小劇場までこの映画を2度観に行き、今しがたNetflixで再び観たのだが、やはり赤塚不二夫という大きすぎる存在をみんなが持て余していたように見えて仕方がない。

いみじくも、エンディングアニメに、同じく大きすぎる存在であるタモリが歌うヒンドゥー的歌声に乗って、蓮の花に鎮座する仏性の赤塚不二夫と、彼が作ったキャラクター達が踊る姿こそが、オイラたち凡人にやっと見ることが出来る赤塚不二夫なのかもしれないと思うのだが、そんな凡人オタクのためにも、せめて『レインボー戦隊ロビン』の話もして欲しいと思った一休であった。(´・ω・`)ノ
一休

一休