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パン・タデウシュ物語のSadAhCowのレビュー・感想・評価

パン・タデウシュ物語(1999年製作の映画)
5.0
2022 年 44 本目 

ポーランド映画祭 2022 上映作品。19 世紀のポーランド・ロマン主義最大の文人であり、詩聖と呼ばれたアダム・ミツキェヴィチの同名作品の映画化である。ポーランドは 18 世紀末の三国分割の結果、19 世紀を通じて祖国喪失状態にあった。当時の文化人たちの多くはパリに逃れ、親しい仲間が集まる席(いわゆるサロンってやつ)で詩の朗読会などを開いていた。結果としてパリの亡命社会はポーランド文学の一大拠点となり、国はないけど文学は全盛期という状態が現れることになる。この映画もナレーションはミツキェヴィチ自身がパリで読んでいるという設定。

原作を読んでいないと人間関係がかなーり分かりづらいし、何よりポーランドの国民的叙事詩においてなぜリトアニアの名前が連呼されるのか意味不明で、とにかく初見殺しの映画である。実はロシア、プロイセン、オーストリアに分割される前のポーランド王国は、正式には「ポーランド・リトアニア連合王国」という名前だった。この連合王国は 1569 年のルブリン合同で成立した国家で、現在のベラルーシ、リトアニアの全域とウクライナの大部分を含む広大な地域を統治していた。当然のように多民族・多言語国家だったのだが、ポーランドが力関係的に強かったので、上流階級の言語はおのずとポーランド語になっていく。ミツキェヴィチの生まれたザオシェ村はかつてのリトアニア大公国の領土内にあり、だからこの作品ではリトアニアが舞台になっているのだが、ミツキェヴィチ自身の文化的ルーツはポーランドなのである。なおザオシェ村は現在はベラルーシ領内にあり、『パン・タデウシュ』の時代はロシア帝国領である。ややこしい。

まあこうした事情はあるのだが、早い話が諸行無常で、背景さえ分かれば実は日本人には結構共感しやすい物語でもある。三国分割によって祖国を失ったポーランド人は、当時ヨーロッパで革命の大旋風を巻き起こしていたナポレオンと歩調を合わせることになる。ナポレオンはプロイセン、ロシア、オーストリアなどの帝国主義勢力とバチバチにやり合っていたので、飛ぶ鳥落とす勢いのナポレオン軍の威を借りて祖国を取り戻そうとするのである(だからポーランド国歌のなかにもナポレオンの名前が出てくる)。ところがその後の歴史が示すように、ナポレオンは結局は敗れ、後ろだてを失ったポーランドは孤立し、再独立は露と消える。『パン・タデウシュ』の舞台となっている時代は、ポーランド人が独立回復の夢を持つことができた最後の時だったのである。

そんな時代にリトアニア(文化的にはポーランド圏)の田舎の村で起きたソプリツァ家とホレシュコ家の土地争い。ソプリツァ家のタデウシュとホレシュコ家のゾーシャは家同士が対立するなかで恋に落ちる。しかしゾーシャの養母であり、名優グラジナ・シャポウォフスカ演じるテリメーナの美魔女ぶりが完全にヒロインのゾーシャを食っており、誰がヒロインなんだか分からねえ……。なおシャポウォフスカはキェシロフスキの『愛に関する短いフィルム』の主演女優である。そりゃ食われるわ。

話が逸れたが、ソプリツァ家とホレシュコ家の対立の背景にはロシアがある。ロシアに支配されていることによって同じポーランド人が同士が憎み合う。だがそれでいいのか? いかんだろ! 結果的に両家は協力してロシアの官憲をとっちめる。そして時は流れ、ナポレオンのロシア遠征前夜。対立する両家は和解し、独立回復も間近……。すべてがうまくいきそうな予感のなかでタデウシュとゾーシャの結婚式が開かれ、絢爛豪華なポロネーズでクライマックスを迎える。ぶっちゃけ、この映画全体が最後のポロネーズを見るための長ーい前座といってもいい。しかし先述のように、ナポレオンはロシア遠征で敗れ、ポーランド独立回復の希望は絶たれる。かつて血気盛んに相争ったソプリツァ、ホレシュコの勇士たちは年老いた姿で呆然と座っている。まさに諸行無常としか言いようのないこの場面で、ミツキェヴィチは語るのである。

リトアニア、わが祖国! 汝は健康に似たり
失いし者のみが汝の価値を知る 

ラストシーンで語られるこのフレーズは原作では冒頭に来ているもので、ポーランド人の誰もが知っているとても有名な言い回しである。対立と和解から生まれる未来の希望、祖国回復の短すぎた夢。ただよう寂寥感のなかで皆がおなじみの「あのセリフ」が出てくるというね、もうこの構成思いついたの天才だろ。傑作。
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