ーcoyolyー

未来よ こんにちはのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

未来よ こんにちは(2016年製作の映画)
4.4
ブラームスとシューマンが好きな男はティム・バートンとジョニー・デップが好きな男くらい地雷だからやめとけ。あのクソ夫の音楽の趣味を聞いた瞬間に理解したね、ああアイツはもう手の施しようのないクソ男だなと。ドイツロマン派好きの男は厄介なんだよ。私が一番苦手なのに絡まれやすいタイプ。グズグズごちゃごちゃくっそどうでもいいこと頭の中に詰め込んで、そんな苦悩を抱えている自分が嫌だというポーズをとりつつ実の所大好きで酔いしれていて変わる気もなくてそれをヨシヨシぎゅっとしてくれるママを求めてくるダメ男な。クララ・シューマンに同情の念が止まらなくなるやつ。

自分から浮気しといてイザベル・ユペール様のところにも未練たらったらな顔して乗り込んできてなんだありゃ。こういう人ってこういうことできるからロミオメール送ってきがちなんだろうけど全く理解できないですね。

冒頭のシャトーブリアンの墓のロケーションが最高で私もこんなお墓建てたい、ブルターニュに墓建てたい、と思ってたらその後に起こるイベントイベントが身につまされすぎて…こういう女だから浮気されるのわかるんですよ、浮気の事実を知ったところで表面上は泣き叫んだり騒いだり取り乱すようなこと全くしないで淡々と受け入れてるように見えて可愛げないんだろ?実際は裏切られたことのショックの大きさで茫然自失としてるだけですけどね。そういう反応責められたりしますからね。
でも私たち何も悪くない。悪いのは偏に男の弱さ。弱くて狡くて醜い男がお前にも責任があるとかアクロバティック論理でまくしたててきてそれに飲み込まれるような過去はもう捨てました。

教え子の若い男子といると気楽で気やすくて居心地が良いのもとてもわかる。私も今同世代の特に男性といるとほんっとにしんどい。価値観の凝り固まり方に面食らってしまう。年上だからというだけで敬えと若者に押し付けるくせにジジイババア呼ばわりされると激怒する老害ムーブとかびっくりしちゃう。矛盾してるよね、お前らより年寄りなんだから敬えとゴリゴリ抑えつけてくる人を年寄り扱いしたら怒るって何事?年寄りだから敬えと言いつつまだ若いつもりでいてジジイババア老害扱いされた瞬間に噴き上がってるのあれ何?せめてどっちか選べ。年寄りを受け入れるか若作りに励むかどっちかにしろ。
もう最近なんか同世代どころか自分より下の世代の老害しぐさを目の当たりにすることも珍しくなくなってしまって、いやいや三十歳超えたらいつどこで自分が老害しぐさかますかわからないから常にそのつもりで生きてろと思うんですよね。そう思って生きてる一回り上の私から見てもあんた完璧な老害しぐさキメてんで、としか言えないことやってるからね。

ちょっとした若者との接点を持つとわかるのは、今割と二十代と三十代の間できっかり線が引けるくらい感覚が違ってて、二十代の男性は価値観がアップデートされてて楽なんですよね。予めインストールされている人権感覚がそれより上の世代と明らかにOSが違っている。フェミニズムにしてもLGBTQにしても障害者受容にしてもメジャーアップデートされている。

二十歳そこそこの男子とサッカーの話してたら、彼は私に問うんです。「なんでそんなにサッカー好きなのに自分でプレーしなかったんですか?」と。不思議そうな顔をして。その瞬間に私は感動して思わず泣きそうになってしまいましたよね。そして澤さん!澤さん!と澤穂希さんに話しかけてしまいましたよね、その場にもちろんいないけど心の中で。澤さんや私が子供の頃は女がサッカーするなんて変だと馬鹿にされたりいじめられたり不思議がられたりしたんですよ。私、日本のサッカー女子代表の愛称が『なでしこJAPAN』に決まった時の澤穂希さんが「なでしこの名を浸透させられるよう頑張りたい」と抱負を語っていたのも覚えてるんです。その時も当然まだ女がサッカー!?と言われてしまう時代でした。私これ覚えてるからなでしこJAPANが東日本大震災直後に女子W杯で優勝していざその名称が日本中に広まってみると、今でいういわゆるツイフェミ的感性の人に時代錯誤だ、的な叩かれ方をされてるのも見て気が重くなって。あの時の澤さんがどれだけの決意でそう発言したか知っているから。それなのに有言実行したらしたでこうなるのかと。川淵三郎から押しつけられた価値観を当時の我々はああやって背負うしかなかったんだよ文句言うなら代表の女子選手たちじゃなくて協会に言えよと。でもそんなことも2011年ですから10年ほど昔の話になりまして、震災となでしこ優勝があった年に小学生だった男の子に私はなんでサッカーしないの?と不思議がられるようになったんです。彼にとって女子がサッカーすることは自然なことなんです。彼が通っていたサッカースクールには普通に女子もいたんです。女がサッカーやるなんて変、じゃなく彼にとっては女であろうと男であろうとどちらでもなかろうとどちらでもあろうと性別問わずサッカーが好きなのにサッカーをやらないのが変、なんです。澤さんや私が背負って戦ってきた重苦しいものは我々が知らぬうちに軽やかに取り払われていた。そんな新しい風が思わぬ形で爽やかに吹いてきたんですよ。歯を食いしばって耐え忍んでいたら後に続く世代は私たちのそんな姿を知らずに私たちがいつかそうなってほしいと望んだ社会を普通のものとして自然に受け入れて育ってきてたんですよ。私はこの映画でイザベル・ユペール様が演じた女と同じタイプの人間だから熱く込み上げてくるものが止まらないのにも関わらずあまり表に出さずにさらっとそういう時代じゃなかったんだよと伝えるだけに留めましたけども、嬉しくて嬉しくて時代の感性が変わることってドラマチックにドラスティックに変わるだけじゃなくてこうやっていつの間にか静かに浸透して気づいたら変わっていた、そしてそれをある日突然呆気なく知らされることもあるのかと初めて理解しました。

部屋の掃除してたら出てきたバンクーバー五輪キャラクターグッズを10歳前後の甥っ子に渡しながら「これどこで買ったかわかるー?」と訊いたら「わかるよ!オリンピックとパラリンピックでしょ!ここにマークあるもん!」と言われた時にも驚いたんですけど、彼らにとってはオリンピックとパラリンピックは1セットの存在なんですよね。等価値のスポーツゲーム。私が子供の頃はオリンピックしか中継がなかったということが変だと思われる程度に。パラリンピックのマークを認識してなかった私がものを知らない扱いされる程度に。

私はこういう若い男の子と交流持つのが楽なんだ。何よりも楽。三十代以上の男には噛んで含めて宥めすかして教えなければならないようなものを彼らは既に持ち合わせているから。無駄骨を折らずに済むから話が早くて楽。彼らは私たちがかつて夢見た未来で希望なんだよ。女の子はもうずっとしんどい。どの世代もしんどい。そのしんどさは男の意識が変わらない限り消えることも減ることもない。だから若い男の子たちの意識の変化が嬉しいし感動する。彼らと同世代の若い女の子たちが楽になるから。女が背負わせられる重荷を代わりに持とうとしてくれる男の子たちが出てきたことが嬉しい。少しずつでも嬉しい。少なくとも自分が持つべき荷物を女に押しつけてその事実に気づかない男ではなくなっているから彼らにそのまま育ってほしいなと見守っている。彼らにすぐ手を伸ばしては仲間に入れようとする年長の男社会に染まらないように注意深く見守っている。だから、加齢臭漂わせたクソ夫と別れてすっきりした顔で若い教え子と遊んでるイザベル・ユペール様の願い、よくわかる。歳の離れた友情を色眼鏡で見られてもなとも思う。むしろ歳の離れた人の方が友情を育みやすくなる人間もいる。それは若者に魅力があるというより同年代に魅力がなくなるからです。年上であることを振りかざさないでいると、少なくとも年上であることをできるだけ振りかざさないように気をつけようとしていると、年上であることを振りかざす人間とは付き合えなくなってくるんですよね。そうやって自然とその老害サークルから私のような人間は零れ落ちてしまうので結果的にクソ煮詰まった馴れ合い老害グルーヴ集団ができあがってもしまうわけなのでした。

あそこに染まるより若い子の集いに一人でふらっと遊びに行って受け入れられているイザベル・ユペール様の方が断然魅力的なので、私が歩んでいる道は間違ってないのだなと自信がつきました。死ぬまでこうやって女一人で気楽にこの道を進んで生きたいです。
ーcoyolyー

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