ずどこんちょ

ある戦慄のずどこんちょのレビュー・感想・評価

ある戦慄(1967年製作の映画)
3.9
ものすごく心の底を抉られる名作です。
1967年のモノクロ映画。TSUTAYAの「発掘良品」に選ばれていたのですが、さすがの目利きです。
Netflixだとこういう過去の隠れた名作に出会うことができないので、本当にレンタルショップのこういう企画には助かっています。名前も知られていないけど、とにかく面白い良質な作品に出会いたい人にはおすすめな作品です。

舞台はマンハッタンへ向かう深夜の地下鉄です。様々な事情を抱えた乗客たちが乗り合わせる車内に、泥酔したチンピラ二人組が乗り合わせます。
彼らは乗り合わせた乗客たちを閉じ込め、彼らをターゲットにやりたい放題振る舞うのです。

オープニングがカッコいい。冒頭、遊び感覚で平然と強盗をするチンピラの二人組ジョーとアーティが"カモ"になった被害者から金を巻き上げたあと、また夜の街に消えていきます。10分ほど経ったそこでようやくオープニング。
タイトルの「The INCIDENT」が大きく表示されます。原題は「ある事件」。オープニング前の冒頭から重大な事件は起きているのですが、この事件はおそらくこれから起こる事件の序章に過ぎないことが明白なのです。
舞台となる電車の映像をバックにサスペンス感のある音楽が雰囲気を盛り上げています。

そこから唐突に様々な登場人物たちの群像劇が始まります。あぁ、この人たちはきっとこの先、同じ「ある事件」に巻き込まれていくんだろうなということが分かるので、善良な市民である彼らがどんな運命を辿るのか心配でなりません。
この群像劇が秀逸。それぞれが問題や悩みを抱えており、それらが全部違うのですが、とてもリアルで誰にでも共感できる悩みばかりなのです。
しかも、わざとらしい説明口調にならず、ちょっとした会話だけでその悩みの全体像を理解させる巧みなセリフの展開にとても引き込まれます。
これからの家族設計に悩んで愚痴ばかり口にする人、親不孝な子供に怒りを抱いている人、人種差別に憎しみを抱いている人、断酒して家族を取り戻したいアルコール依存の治療者、都会の夜に孤独を感じている同性愛者……。
彼らの抱えている事情がじっくり描かれることで、この後の展開がより俯瞰的に楽しめるのです。

舞台は整いました。
そこへ例のチンピラ二人が乗り込んできます。
都会の深夜の地下鉄の怖さはきっと現代の日本にも通じる緊張感だと思います。昼間の車内と比べても深夜の車内は雰囲気が違います。それぞれが自分たちのことに夢中で、基本的に他者に対して無関心です。
他の乗客もいるのにイチャつくカップルもいますし、座席に横たわって眠っている浮浪者のような身なりの男もいます。
だからこそ深夜の車内は孤独で、アンバランスな空間です。そんな空間に、泥酔して傍若無人なチンピラが大騒ぎしながら飛び込んできたらどうでしょう。
一気に緊張感が走る車内。

ジョーとアーティはまず眠っているおじさんをからかって遊ぶのですが、眠っているおじさんの口元にマッチを差して火遊びし始めた時に、我慢の限界に達した断酒中のおじさんがそれを制止します。
ここからチンピラ二人組は新たなターゲットを見つけたとばかりに、一人ずつ乗客たちに絡んで彼らを黙らせるのです。
電車の扉は一部故障しており、唯一の出入り口も彼らが封鎖してしまって事実上の密室空間が生まれます。

この作品の胸糞の悪いところは、基本的に乗客の誰かに絡んでいる間、他の乗客たちは傍観者になってしまうところです。
彼らは困っている他の乗客を助けようとしません。助ける手を出せば、今度は自分たちのところに来ることが分かっているからです。
泥酔して大量の汗をかき続けている彼らが、何をしてくるか分かりません。理性的な話など通じる余地を感じない。身の危険を感じるからこそ、彼らは基本的に「関わりたくない」と決め込んで、無関心を装ってしまうのです。

最初に酷い仕打ちを受けたのは孤独なゲイの青年でした。断酒中のおじさんの正義感を黙らせたチンピラ二人は気の弱そうな彼に目をつけて、悪辣な言葉を投げかけて青年を弄びます。
かわいそうな青年は周りの乗客に助けを求めるのですが、彼らは目を逸らして関わらないようにしてしまうのです。
成す術がなくなった青年は茫然自失状態となってしまい、抵抗することもなく身体の力が抜けてしまいます。

本作がまた上手いのは、無駄に想像力を掻き立てるかのように「映さない」部分があることです。
青年はなぜ力が抜けてしまったのか。もしかすると恐怖のあまり、小便を垂れてしまったのかもしれません。
その後、いちゃつくカップルに絡んだ時も、ジョーが彼女の背後からピッタリくっつき、彼女が悶えて屈辱の顔を見せます。性的な嫌がらせを受けているのでしょうが、その部分は見せません。
しかし、乗客たちはすべてを見ている。それなのに誰も救わないというのが、実にムカムカさせるのです。

その後もチンピラ二人組は乗客たちの人権を踏み躙るような嫌がらせを繰り返します。
お年寄りに限って立ち上がって反抗するのですが彼らが力で敵う訳もなく、若者たちは立ち上がって力でねじ伏せることはしません。異常事態や極限状態における人間の本質。本作で重要なテーマは、ここにあるのです。
例えばカップル二人組の男性は電車が来る前、彼女に対して高圧的で横柄な態度をとって彼女の気を引いていました。ところが、彼女が目の前で嫌がらせを受けていても、彼氏は知らん顔をしてしまうのです。
ジョーとアーティも最低なのですが、我関せずで助けもしない彼氏も相当なクズ男っぷり。当然ですが、あれだけお熱いキスを交わしていた二人の百年の恋も一気に冷めたに違いなく、金輪際、このカップル二人が顔を合わすことはなくなるでしょう。

つまり、ジョーとアーティの乗客たちへの嫌がらせを通じて、平凡かつ善良な市民たちの本性が浮き彫りにされてしまうのです。これが実に恐ろしい本作のテーマです。犯罪によって被害者の人生は変わってしまうでしょうが、本作では多くの人の人生が狂わされていく場面を目の当たりにします。

長年連れ添った夫婦も、勇敢に立ち向かった妻に対して、臆病の夫は妻を諭すばかりでチンピラに対しては無抵抗。夫の仕事は高校教師のはずなのですが、結局仕事でもこのような事勿れ主義なのでしょう。妻は夫に失望します。
人種差別に恨みを持つ黒人の男も、最初は白人たちがチンピラにやられているのを見てニヤニヤしていました。降りるべき駅で降りず、「最後まで見ていよう」と楽しんでいる始末です。
ところが、チンピラたちの差別的な発言が自分に向くと怒りを剥き出しにして立ち上がります。妻を人質に取られて、泣く泣く大人しく拳をおさめるのですが、結局彼も差別的な言葉を受け入れざるを得なくなるのです。ただの傍観者ではいられなくなったのです。
しかも警察が駆けつけた時も、真っ先に被害者だった黒人の男が確保されるという一幕もあります。時代といえば時代なのですが、生きづらい世の中である事実は変えられなかったというのが心苦しい一幕です。

威勢の良いことや、見栄やプライドを張っていた人々が、極限状態においてその本性や真実を浮き彫りにされていく。
そんな悲劇を次々と目の当たりにしていくのは堪らなく皮肉的なのです。

家族連れが抱えていた小さな女の子が次の標的になった時、ようやく骨折していた兵士が立ち上がります。
兵士は格闘の末、呆気なくジョーを倒してしまうのです。残されたもう一人のアーティは抵抗することもなく、一撃で床に伏せる始末。
あれだけ傍若無人に振る舞っていた二人組でしたが、蓋を開けて見ればその力は限りなく弱く、結局ナイフに頼らなければ何もできなかった弱々しさだったのです。見掛け倒しのチンピラだったのです。
全員で団結して立ち向かっていれば、無関心でなければ、決して追い出せない二人ではありませんでした。
いじめなんてそんなものなのかもしれません。

しかもその格闘でも最後にもう一人の本性が浮き彫りになります。
勇気を出して立ち上がった田舎育ちのギプスをはめた兵士。彼が連れているのは、都会育ちの弁護士に転職する夢を持つ兵士です。今日彼は夢を追う親友の夕食に招かれていたのです。車内で夢を語っていた親友を羨ましく感じていました。
ところがギプスの兵士が立ち上がった時、親友の彼は共闘してくれませんでした。
ナイフに腹を刺されてもなお、ギプスの兵士は立ち向かい、チンピラ二人組を倒した後でようやく親友は声を掛けてくるのです。遅すぎます。この時ギプスの兵士は何を思ったでしょう。「どこへいた?」という言葉が虚しく響きます。
弁護士という夢を持つ彼は、人を助けることに手を貸してくれませんでした。手負いの自分が立ち向かったのに、一緒に立ち上がってくれませんでした。どんなに失望したことでしょう。

犯人たちが停車した駅で警察に連れて行かれた後、乗客たちは呆然とした表情で列車を降ります。
金銭が奪われたわけではありません。傷を負ったのはギプスの兵士のみです。
しかし彼らは、この数時間で人生を狂わされ、多くのものを失っていました。