くまちゃん

インディ・ジョーンズと運命のダイヤルのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

毎作インディはオープニングから何かしらの考古遺物を探し求め、エキサイティングなアクションを見せてくれる。
それは監督が異なっても変わらない。
冒険こそが普遍的なテーマであり人生そのもの。
冒頭の舞台は1944年の終戦前夜。
ロンギヌスの槍を求めて宿敵ナチスと争奪戦を繰り広げる。
前作までインディの登場場面はヒッチコック的にシルエットを活用していたが、今作ではあっさりと顔を見せる。
椅子に座らされ首に縄を掛けられた所でミサイルが直撃する。床に突き刺さったミサイルは絨毯を巻き込む形で階下へ落下していく。この絨毯の動きがまるで床に吸い込まれるような視覚効果を見せ、後に時間の裂け目から過去へタイムスリップする場面と重なる。
流石に首を吊った状態からの生還は無理があると思うが。
この30代のインディは俳優を若返らせるディエイジングと呼ばれる技術が使われている。演じるのは当時79歳のハリソン・フォード。この技術は「ジェミニマン」や「ナイト・オブ・シャドー魔法拳」などでも活用されており、これは映画産業の新たな可能性でありながら俳優にとっての脅威でもある。
ただまだまだCGや合成技術による多少の違和感は拭えず、ハリソン・フォード自身が演じる必要があることから俳優という職業が無くなるのもだいぶ先の話だろう。
制作を担うルーカス・フィルムには「インディー・ジョーンズ」や「スター・ウォーズ」といった若かりし頃のハリソン・フォードの映像データが未使用のものも含めて無数にあり、それらをサンプリングすることでハリソンのアンチエイジングが可能となったわけだが、「レイダース」の頃に比べると脂が乗っている印象を受ける。

過去の冒険という名の幻想から目覚めたインディは70歳の老人であった。
観客の夢も断ち切られる。これが今のインディー・ジョーンズ。これがリアルのハリソン・フォード。
隣人の若者からは馬鹿にされ、教壇に立てば誰も話を聞いていない。時間の流れるスピードは時代の流れとは必ずしもイコールではない。かつて自分の周りには常に多くの人がいた。親しい友人たちや恋人、女子生徒からも人気が高かった。
今からは想像もできまい。古びた栄光は廃れてしまったのだとジワジワ染みてくる。
時は1969年。アポロ11号が月面着陸を成功させ、国中がその大いなる一歩に祝杯を上げていた。時代は考古学ではなく科学を求め、インディー・ジョーンズは考古遺物と化してしまったのだ。

共に苦難を乗り越えた友バジルの娘ヘレナはインディの元を訪れる。アンティキティラのダイヤルを求めて。
大学の倉庫には様々な骨董品が寝かせてある。彼は常々お宝を胸に抱くたびに博物館に展示するためと公言してきた。にも関わらず歴史的価値のあるものがこれほどこの倉庫に保管してあるのはなぜなのか。
我々が知るインディの冒険はほんの一部分に過ぎず、映画で描かれたもの以外でも多くの冒険をしてきたはずだ。また通常の考古学研究の業務上で発見されたものも大学や博物館へ持っていっただろう。既に博物館にあるのであれば断られる事もある。博物館へ納められなかった骨董品は大学で研究に使われるか、インディの懐に入ることもあったのではないか。この倉庫の膨大な研究的価値のある考古遺物たちはインディのこれまでの考古学、歴史学に対する貢献度の高さを垣間見ることができる。

インディの友人レナルドを演じたアントニオ・バンデラスはその変わり果てた風貌からバンデラスだと気づくものは少ないかもしれない。吹き替えで見れば大塚明夫の重厚な声と、バンデラスのギラつく眼球で気がつくのだろうが。

ドイツ人科学者ユルゲン・フォラーはロケット工学の第一人者、ヴェルナー・フォン・ブラウンを元に作られた。

ブラウンは第二次世界大戦にてドイツの敗北が確実となると、自身の研究スタッフを招集し亡命先について議論を交わした。自分たちの立場や他国の財政力を鑑み、アメリカへの移住を決めアメリカはその申し入れを承認した。ペーパークリップ作戦と呼ばれたこの科学者の移送によりブラウンは後にアポロ11号の開発に関わっていく。

ユルゲン・フォラーは上品で知的で聡明にも関わらずその自尊心と科学への探究心の高さが人間的な生々しさを演出しており、前作のイリーナ・スパルコを彷彿とさせる。
マッツ・ミケルセンはインテリな悪役が良く似合う。
ヴェルナー・フォン・ブラウンはアメリカに移住した際、その経歴から非難を浴びた。それに対しブラウンは「宇宙に行くためなら悪魔に魂を売り渡してもいいと思った」と弁明していた。
つまりフォラーはただの悪ではなく、考古学のためありとあらゆる考古遺物を掘り起こし、時には列車でたまたま見かけたアンティキティラのダイヤルをくすねてしまうインディの同素体のような存在として描かれている。

今作ではトゥクトゥクやカーアクションが多い。ハリソン・フォードの年齢を考慮してのものだろうか?
フォラーの手下を蹴りでいなすインディの図は少々滑稽にみえた。70歳の老人の攻撃に怯むような人間を手下にもつフォラーは人を見る目がないのかもしれない。

考古学は常にオカルティズムと密接に関わり合ってきた。前作にて地球外知的生命体の存在を肯定しつつもその力は超自然的な神秘性に富み、オカルトの域を出なかった。今作ではアルキメデスが残したダイヤルを駆使し時間の間を計算することで時を超越し、時代背景も相まってだいぶサイエンス・フィクション寄りになっている。

古代ギリシャへ到達したインディはそこで見たもの触れたもの全てに感動を覚える。先人たちが残した遺物を発掘し研究し推論をたて、当時の文明や生活を想像することしかできなかった。それが今目の前にリアルとして広がっている。どれほどの文献を読み込んでもこれほどの臨場感は味わえない。
インディはここに残るとヘレナに伝える。
息子はベトナム戦争で失い、マリオンとは離婚協議中であり、その上定年退職にて職をも失ってしまった。世界を飛び回り数々の冒険を繰り広げ多くの友と新たな出会いに彩られたあの頃のインディー・ジョーンズはもういない。
彼はもう遺跡であり遺物なのだ。
余生を夢にまで見た歴史の生き証人として過ごすのも悪くはないだろう。現代に自分の居場所はないのだから。

目が覚めるとベットの上だった。
聞坊のインディはヘレナの渾身の一撃で気を失ったのだ。
現代の味気ない日常、戻ってきてしまった。居場所を見いだせない者にとって現実ほど苦痛な空間はないだろう。
ヘレナの他にドアからは友人たちが現れる。一気に賑やかになった。それでも本当に欲しいものはここにはない。
いや、思いがけない人物がそこに。
マリオン・レイヴンウッド。
かつて愛し、今も愛し、離婚協議中の妻。
ヘレナは気を利かせ友人たちと辞去する。
インディとマリオンは心を通わせる。
気持ちはわかるというマリオン。
痛くないのはどこか問うインディに彼女はここだと肘を突き出す。そこに優しく唇をつける。これは1作目「レイダース」においてインディとマリオンが結ばれた場面へのオマージュである。
息子の死という悲劇に見舞われた二人は再び愛を取り戻した。
ラスト窓から伸びた手がトレードマークのフェードラハットを掴み取る。
彼の冒険はまだ終わらない。愛と活力を取り戻したインディー・ジョーンズは死ぬまで現役なのだろう。

今作の監督ジェームズ・マンゴールドは「ローガン」にて不死身だったウルヴァリンの最期を描いた。だからこそ今回もインディの死が待ち受けるのではとファンは肝を冷やした。しかし、制作陣の中でインディの死は念頭になかったそうだ。ジェームズ・マンゴールドはドラマチックにするためだけの演出として無闇矢鱈とアイコニックなキャラクターを死なせたりしない。また過去に残る結末もあったはずだがそれも選択しなかった。
喪失から始まった老齢のインディが情熱を取り戻し再起をはかるまでの物語。
映画として優れているわけではなく、新しいことがあるわけでもない。それでも見てしまうのはやはり誰もが愛する考古学者の行く末を見届けたいからなのだ。
くまちゃん

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