YasujiOshiba

皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

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そういえば、ローマのサンタンジェロ城の頂上には、剣を振りかざした大天使ミカエルが祀られている。かつてローマの街をペストが襲った時、大天使の到来が待望されたのだという。

ミカエルという名前だけど、これはヘブライ語の「ミカエル(誰が神に似ているか?)」という疑問文に由来するらしい。誰が神に似ているのか?もちろんミカエル自身だ。ほかの天使を圧倒する力を持つからこそ、大天使の称号を持つ。ペストが蔓延したローマでは、そんな大天使ミカエルに得体の知れない死に神を打ち倒してくれる力が求められたのだという。

しかしである。あらゆる疑問文が反語になることを忘れてはならない。だから、「誰が神に似ていることがあろうか?(誰も神には似ていない)」とも解釈できるわけだ。このとき「ミカエル」は反語的に神を賞賛している。神の絶対を言うため、天使ミカエルは謙る。自分なんて神に比べると大したことはない。いやむしろ、神の創りたもうたものの前では無力なのだと。

だとすれば、ペストが蔓延したローマに呼び出された天使ミカエルはどうだったのだろう。相手が同じ翼の生えたサタンなら圧倒できたかもしれない。しかしペストは地を這う伝染病。サタンではない。翼の生えたミカエルには、結局のところ、地を這う苦しみを眺めるばかりで、地上に舞い降りることがなかったのではないのか。だから、今でも、あのサンタンジェロ城の上空に、剣を振り上げたまま宙吊りになっているのだ。

たとえばパゾリーニは、そんな大天使ミカエルに苛立っていたにちがいない。だからそのデビュー作の『アッカットーネ』において、あの翼を持たないセルジョ・チッティに、サンタンジェロ橋の欄干からテヴェレ川へダイブさせたのではないだろうか。その優雅で美しい落下、死んでもおかしくない危険なダイブ… 。

思うに、そんなダイブを繰り返すために、イタリアの「鋼鉄ジーグ」はよみがえったのだ。だから冒頭のシーンはサンタンジェロ橋。たもとにはペストのような病原体が沈んでる。その汚水に自らを沈めたクラウディオ・サンタマリアは、洗礼を受けたが如く生まれ変わる。

サンタンジェロ橋からのダイブがないのはちょっと残念。けれど、この映画で繰り返されるトンデモないダイブの数々、そのぎこちなさも含めて、ぼくはパゾリーニの美しい落下を思わずにはいれない。

なによりも最後のダイブなんか、ほんとうに考えさせられるよね。それはきっと、ぼくたちに「誰が神と似ているのか?」と問いかけているのだ、なんて思ってしまう。
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